わたしの前で元気を出しなさい。あなたは異邦人だけでなく、ユダヤ人にも、わたしの名について証しなければならない。また、地の果てまでわたしの言葉を送り出さなければならない。
それゆえ、あなたは朝ごとに戦い、日々あなたの警告の声を発しなさい。そして、夜になると、地に住む者があなたの言葉のためにまどろむことのないようにしなさい。
さて、わたしはあなたに言い、またあなたに言うことを十二使徒のすべてに言う。立って腰に帯を締め、自分の十字架を負い、わたしに従い、わたしの羊を養いなさい。
「胸に燃ゆる」2024年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
ここ最近の経験の中で個人的に最も辛かったのは,最愛の妻,パトリシアとの死別でした。彼女はわたしが出会った中で,確かに最も偉大な女性です。すばらしい妻,また母親であり,清く,豊かな表現力と霊性の持ち主でした。妻は以前に,“Fulfilling the Measure of Your Creation”(「あなたのために造られた器を満たす」)と題するお話をしたことがあります。わたしにとって,彼女は自らのために創造された器を,だれもが夢見る以上に見事に満たしたように思えます。彼女は成熟した神の娘であり,キリストを信じる女性の模範でした。人生の60年を彼女と過ごすことができ,とても幸運でした。 妻とわたしは結び固められているので,わたしが自らのふさわしさを示せば,妻と永遠を共にすることができるのです。
妻の埋葬から48時間後,もう一つの経験をしました。そのとき,わたしは突然体調が悪くなり,病院に搬送されました。6週間におよぶ入院生活の最初の4週間は,何度も集中治療室に入り,何度も意識を失いました。
その最初の期間に病院内で経験したことは,ほとんど忘れています。覚えているのは,いわば病院外での経験,すなわち永遠の入り口と思われる所へ行った経験です。その経験についてこの場で詳しく語ることはできませんが,そこでわたしが受けたものは,さらに緊迫感をもって,さらに献身的に,さらに救い主を中心に,さらに主の言葉に信頼を置いて,自らの務めに戻るようにとの訓戒でした。
200年近く前に当時の十二使徒に与えられた啓示を,個人的に受けていると感じました。 それは,次のような言葉です。
「あなたは……わたしの名について証しなければならない。また,地の果てまでわたしの言葉を送り出さなければならない……
朝ごとに……日々あなたの警告の声を発しなさい。そして,夜になると,地に住む者があなたの言葉のためにまどろむことのないようにしなさい。……
立って……自分の十字架を負い,わたしに従い……なさい。」(教義と聖約112:4-5,14)
愛する姉妹,兄弟の皆さん,その経験以来,わたしは,使徒としての温かい警告の声を上げられる場所を見いだすために,朝も昼も夜も,ますます切に,さらなる決意をもって,自分の十字架を負うように努めてきました。
そのように,喪失感と病と苦悩の数か月が過ぎた後,わたしは3つ目の真理に導かれました。それは,わたしのために皆さんがささげてくださったような,この教会の確固たる祈りの力に対する新たな証と限りない感謝の念です。何千という人々が,あのやもめが乞い願ったときと同じように,(ルカ18:1-8参照)わたしのために何度も天の力を求めてくださったことに,わたしは永遠に感謝します。神権の祝福を頂き,高校時代のクラスメートや教会中の様々なワードの皆さんが断食をしてくださいました。どうやら教会のほぼすべての神殿で,祈りの名簿にわたしの名前が加えられたようです。
そのすべてに対するわたしの深い感謝を,G・K・チェスタトンが代弁しています。「感謝とは,最高の思考形態である。そして……感謝の念とは,驚きによって倍加された幸福である。」(G. K. Chesterton, A Short History of England (1917), 72.)わたしも「驚きによって倍加した喜び」の中で,皆さんに,そして皆さんの祈りを聞いてわたしに命を与えてくださった天の御父に感謝いたします。
