また、返済するものを持っていない者については、報告を記録し、それをシオンのビショップに渡すようにする。するとシオンのビショップは、主が彼の手にゆだねるものから負債の支払いをする。
教会員のために、また世の人々のために、福音と王国にかかわる事柄を取り扱い、霊的な事柄において働く忠実な人の働きは、負債に対する支払いをシオンのビショップに求めるものである。
このように、その支払いは教会が行う。律法に従ってシオンに上って来る人は皆、シオンのビショップの前にすべてのものを置かなければならないからである。
さて、まことに、わたしはあなたがたに言う。ぶどう園のこの場所にいる長老は皆、ぶどう園のこの場所のビショップに自分の管理人の職についての報告書を出さなければならないので、
「個人の神権の責任」2003年10月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会
大管長から,聖任されたばかりの執事に至るまで,わたしたちは主に対する責任を負っています。誠実で忠実であって,主から与えられたあらゆる原則と教義に従って生活しなければなりません。必ず守もると決意した戒めや啓示された教えに妥協を加えることはできません。主はわたしたちが「神の王国を築き,神の義を打ち立てる」(ジョセフ・スミス訳マタイ6:38) ものと信頼してくださっています。
いつの日か,人はそれぞれ自分の人生について主に報告します。(ヘブル13:17;アルマ5:18;11:43:教義と聖約72:13-16参照)数年前に,愛する友人と真剣に交わした会話にこのことがはっきりと表れていました。友人はまさに現世の生涯を終えようとしていました。わたしは世を去る準備ができているか尋ねました。わたしは彼の返事を決して忘れないでしょう。彼は勇敢に,また確信をもってこう答えました。「自分の生涯を吟味していただく準備はできているよ。」
預言者ジョセフ・スミスは死に直面してこう述べました。「わたしはほふり場に引かれて行く小羊のように行く。しかし,わたしは夏の朝のように心穏やかである。わたしの良心は,神に対してもすべての人に対しても,責められることがない。」(教義と聖約135:4)
今は自分の最終面接に備える時期です。こう自問するとよいでしょう。「わたしは快く什分の一を納めているだろうか。知恵の言葉を守っているだろうか。卑わいで汚らわしい言葉を使っていないだろうか。道徳的に正しいだろうか。復活を現実のものとし,永遠の命を得られるようにしてくれる贖罪に,心から感謝しているだろうか。愛する人たちと永遠に結び固められる神殿の聖約を尊んでいるだろうか。」正直に「はい」と答えられれば,皆さんは神権の力を増し加えています。
