見よ、見よ、わたしの目はあなたがたのうえにある。天と地はわたしの手の内にある。永遠の富はわたしのものであり、わたしが与えるものである。
「喜んで服従する」(英文)1985年4月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会
忠実な人々にとって、最後に問題になるのは「ありのまま」(ヤコブ4:13)を理解することです。つまり、私たちが主の手の内にあるということに確信を抱くことです。でも、兄弟姉妹の皆さん、私たちは今までも常に主の手の内にいたのです。そのことを偉大な態度で示しているのが、私たちの愛する、従順な兄弟であるブルース・R・マッコンキー長老です。
「ごらん、お前たちは神の御手の中にある」(モルモン5:23)。肉なるもの、天と地のすべてが、神のみ手の内にあるのです(教義と聖約67:2;101:16;モーセ6:32参照)。私たちが神のみ手の内にあることを完全に知るのは、天父に服従した救い主の手の傷跡の意味について深く考えるときです(3ニーファイ11:14–15参照)。かつて主と疎遠になった人々は、そのとき、何の傷跡かを尋ねなければならないでしょう(教義と聖約45:51–52参照)。「主の御業を重く見ず、その御手の働きを考えない」(2ニーファイ15:12)人々もいます。
御子のあの畏敬の念を呼び起こす贖罪について、研究し、祈り、心に深く考えれば考えるほど、私たちは自分が主のみ手の内に、すなわち御父のみ手の内にあることを、喜んで認めるようになります。
