しかし、すべてのことは時節にかなって起こる。
「愛の腕の中に抱かれて」2002年10月、ニ一ル・A・マックスウェル、十二使徒定員会
兄弟姉妹の皆さん,「すべてのことは時節にかなって起こる」のですから(教義と聖約64:32),今が御心に従って与えられた「〔わたしたちの〕時代」なのです(ヒラマン7:9)。さらに言えば,わたしたちは失敗続きの世に生きていますが,失敗するためにここに送られたのではありません。
ベツレヘムでの主の降誕を知らせた新しい星を思い起こしてください。あの星は,輝くずっと前からその目的を果たすために軌道に乗せられたのです。同じようにわたしたちも,ふさわしい時に輝くように人間の軌道に乗せられたのです。神の計画は,宇宙だけでなくこの星にも及んでいます。モルモン書の金版がベルギーに埋められ,何世紀もたってからジョセフ・スミスが遠く離れたボンベイに生まれるということはありませんでした。
アメリカの卓越した憲法の権利と保護は「すべての人」に与えられたのであり,それを制定した「賢人」,建国の父たちは,決して偶然に集められたのではありません(教義と聖約101:77-78,80参照)。ある歴史家は建国の父らを称して,「合衆国で,いや世界で最も優れた公人の世代」と呼びました(アーサー・M・シュレジンガー,The Birth of the Nation〔1968年〕,245)。別の歴史家は「わずか250万人という人口ベースから,これだけの数の才能が生まれた理由が分かれば,貴重な発見になるだろう」と語っています(バーバラ・W・タックマン,The March of Folly: From Troy to Vietnam〔1984年〕,18)。
しかし,中には非力な神や矛盾だらけの神を甘んじて受け入れている人たちがいます。例えばレーマンとレムエルは,古代イスラエルがパロの軍勢から奇跡的に救われたことを知っていながら,地元の有力者にすぎないラバンに脅されて信仰を失い,つぶやきました。人は何と偏狭で利己的になれるのでしょう。銀河や星,そして多くの世界を統括しておられる神が,個人の生活における神の業を認めるようにわたしたちに求められるのは当然です(教義と聖約59:21参照)。すずめも,髪の毛1本さえも,神に知られずに地に落ちることはないと言われているではありませんか(マタイ10:29-30;教義と聖約84:80参照)。神は細部にわたってその存在を示しておられます。神はその広大な業をすべて御存じであると同様に,群衆の中の一人一人をすべて知っておられ,愛してくださっています。主はわたしたち一人一人,そして全人類を御存じであり,愛しておられるのです(1ニーファイ11:17参照)。
