彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめを受けて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
「イエス・キリスト:わたしたちの魂の介護者」2021年4月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会
この壮大な救いの賜物をもたらされただけでなく,救い主は,わたしたちが最近経験したパンデミックのような状況を含め,この世で苦痛や誘惑,弱さに直面するときに,安らぎと慰めをも与えてくださいます。キリストは,わたしたちがこの世で経験する逆境を常に知っておられると確かに言うことができます。わたしたちが直面する情緒的,霊的な試練だけでなく,苦しみや苦悩,肉体的な痛みも理解しておられます。主の心は憐れみで満たされ,いつでもわたしたちを助ける備えができておられます。肉においてわたしたちの弱さやもろさから来る痛みを身に受け,個人的に経験されたからです。(へブル2:18;4:15;アルマ7:11-13;教義と聖約62:1参照)
主は柔和で謙遜な心を持ち,万物の下に身を落とし,人々から侮られ,拒まれ,屈辱を受け,わたしたちの背きと罪悪のために傷を負われました。全人類のためにこれらの苦しみを受け,世の罪を御自身で負い,(イザヤ53:3-5;アルマ7:11-13;教義と聖約88:6参照)それにより究極の霊的な介護者になられたのです。
主にさらに近づき,わたしたち自身を霊的に主の守りにゆだねるとき,主のくびきを負うことができるでしょう。それは負いやすく,主の荷は軽いので,約束された慰めと休息を見いだすことでしょう。さらに,人生の苦難や弱点,悲しみを克服するためにだれもが必要とする強さを受けることでしょう。主の助けと癒しの力なしにこれらに耐えることは,きわめて難しいものです。(マタイ11:28-30;2ニーファイ25:23参照。エテル12:27も参照)聖文はこう教えています。「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。」(詩篇55:22)「そのときに,神が[わたしたち]のために,神の御子の喜びによって重荷を軽くしてくださるように。」(アルマ33:23)
