「神権に宿る力」2013年10月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
わたしたちは,主が初めから神権の儀式がどのように執り行われるか,お定めになったことを知っています。「神権は最初アダムに与えられました。」(『歴代大管長の教え―ジョセフ・スミス』 (2007年),103;また教義と聖約84:16;107:40-53;128:18,21参照;ラッセル・M・ネルソン「エバからの教訓」『聖徒の道』1988年1月号,93-97)ノア,アブラハム,モーセは皆,神権の儀式を執り行いました。イエス・キリストは,昔も今も,偉大なる大祭司です。主は使徒たちを召されて,「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んで聖任したのである。」(ヨハネ15:16)と言われました。わたしたちの時代になって,御使いたちが神のもとから送られてきました。バプテスマのヨハネ,ペテロ,ヤコブ,ヨハネが預言者ジョセフ・スミスを通じて神権を地上に回復しました。(ジョセフ・スミス―歴史1:72参照;また教義と聖約13章;27章;も参照)これが,わたしたちの天父が神権の業を執り行ってこられた方法です。※
※M・ラッセル・バラード,“Let Us Think Straight,” BYU Education Week, 2013年8月20日を参照。バラード長老はこう言っている。「なぜ男性は神権の職に聖任され,女性は召されないのでしょうか。ゴードン・B・ヒンクレー大管長はこう説明しています。『教会の男性が神権を受けるように定められたのは』,人ではなく,主御自身です。また,女性に『この偉大な驚くべき組織,すなわち,神の教会であり,王国を完成させるための力』を……与えられたのも主御自身です。(「教会の女性」『聖徒の道』1997年1月号,79)いろいろと説明はしてきたものの,主はなぜ現在のように御自分の教会を組織されたのか,その理由を啓示されてはいないのです。」
