あなたが語り、また書き記すべきことは、まさにその瞬間にあなたに与えられるであろう。そして、彼らはそれを聞かなければならない。そうしなければ、わたしは彼らに祝福の代わりにのろいを送るであろう。
「二人または三人が集まっている所には」2016年4月、ヘンリー・B・アイリング、大管長会
話者の話が終わりに近づくのに気づいたら,皆さんは祈るという選びをするかもしれません。話者は心の中で聖霊が証の言葉を与えてくださるように御父に祈っています。その言葉が話を聞く皆さんの心と希望を高めるように,いつも救い主を覚え,主から与えられた戒めを守ろうとする決意を強めるようにと祈っているのです。
証は,御告げを詳しく語ることではありません。証は,助けや神の導き,キリストの純粋な愛を求めて祈る人の心に御霊が届けてくれる,真理に対する確認です。
真の証は話者に与えられます。彼らの言葉は僅かかもしれませんが,その証の言葉は,神の善い御言葉に飢え渇いて大会に来た謙虚な聞き手の心の中にまで届き,染み込むでしょう。
わたし自身の経験から,善良な人々の信仰によって,説教の最後に御霊からの言葉が引き出されることを知っています。証を述べた後で「わたしに必要なことが,どうやって分かったのですか」と言われたことが何度もあります。何を話したかを思い出せなくても,驚かないようになってきました。証の言葉を述べたのはわたしですが,そこには主がおられ,その瞬間に語るべき言葉を与えてくださっていたのです。まさにその瞬間に主が言葉を与えてくださるという約束は,特に証するときに当てはまります(教義と聖約24:6参照)。この大会で述べられる証に,注意深く耳を傾けてください。そうすれば,主を近くに感じるでしょう。
