そこでわたしは、同胞であるあなたがたに、善悪をわきまえることができるように、キリストの光の中で熱心に求めることを切に勧める。もしあなたがたが善いものをことごとく手にして、それを非難しなければ、あなたがたは必ずキリストの子となる。
「光あれ」2010年10月、クエンティン・L・クック、十二使徒定員会
わたしは「世界中に再び明かりがともるとき」(“When the Lights Go on Again All over the World”)という歌に深く感動しました。その歌を聴いて二つのことが心に浮かびました。一つは,イギリスの政治家の次のような預言的な言葉です。「ヨーロッパ中の明かりが消える。我々の時代に二度と再び明かりがともることはない。」(エドワード・グレー卿の言葉とされている, ウィキペディア, “When the Lights Go On Again (All over the World),”の項参照)もう一つは,ロンドンのようなイギリスの都市を襲った空襲です。爆弾を落とす飛行機が目標を見つけにくくするために灯火管制が敷かれました。人々は明かりを消し,窓のカーテンを引きました。
その歌は自由と光が戻るという明るい希望の歌です。今なお続く善と悪の戦いにおける救い主の役割と「キリストの光」※について理解しているわたしたちにとって,世界大戦と現代の道徳的戦いの類似は明らかです。すべての人類が「善悪をわきまえることができる」(モロナイ7:19)のはキリストの光によるのです。
自由と光は得るのも維持するのも決して容易ではありません。天上の戦い以来,悪の軍勢はあらゆる手段を講じて選択の自由を損ない,光を消そうとしてきました。道徳の原則と信教の自由に対する攻撃はとりわけ激しくなっています。
末日聖徒としてわたしたちは,光を保ち,道徳と信教の自由に対するこの攻撃から家族と社会を守るために最善を尽くす必要があります。
※教義と聖約88:11-13参照。キリストの光とは「万物の中にあり,万物に命を与える光であり,万物が治められる律法」である(13節)。キリストの光についての総合的な理解,およびキリストの光と聖霊の違いについては,ボイド・K・パッカー「キリストの光」『リアホナ』2005年4月号,8-14を参照
