モロナイ1:1-3 キリストはよみがえられた—キリストを信じる信仰は山を動かす | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モロナイ1:1-3

さて、わたしモロナイはヤレドの民の話を短くまとめ終えた後、もうこれ以上は書き記さないと思ったが、わたしはまだ命を失っていない。わたしはレーマン人に殺されないために、わたしのことを彼らに知られないようにしている。

見よ、レーマン人同士の戦争が今非常に激しい。また、彼らは憎しみのために、キリストを否定しないニーファイ人をすべて殺している。

わたしモロナイはキリストを否定しないので、命の安全を得られる場所を求めてさまよっている。

 

「キリストはよみがえられた—キリストを信じる信仰は山を動かす」2021年4月、ラッセル・M・ネルソン大管長

信じない人は,信仰とは弱い人のためのものだと言うかもしれません。しかしこの主張では,信仰の持つ力が考慮されていません。もし救い主の使徒たちが主を疑っていたのなら,主の死後に,自らの命を危険にさらしてまで主の教義を教え続けたでしょうか。※ もしジョセフ・スミスとハイラム・スミスに,主の教会の回復が真実であるという確かな証がなかったとしたら,彼らはそれを擁護して殉教者としての死を受けたでしょうか。2,000人近くに及ぶ聖徒たちが,開拓者の道の上で命を落としました。もし彼らにイエス・キリストの福音が回復されたと信じる信仰がなかったとしたら,そうするに至ったでしょうか。信仰とはまさに,できそうもないことを可能にする力なのです。

 

※アビナダイは真実だと知っていたことを否定しなかったために,火あぶりの刑により死にました。もし彼に信仰の力がなかったとしたら,そのように死んだでしょうか(モーサヤ17:7-20参照)。その力なしに,エテルは,岩の洞穴に身を隠したでしょうか(エテル13:13-14参照)。モロナイは,何年もの孤独に耐えられたでしょうか(モロナイ1:1-3参照)。彼らは自分が信じていることに反対さえすれば,はるかに快適な生活ができたことでしょう。

 

 

 

Moroni and the last pages by Jorge Cocco Santangelo