エテル3:1-6 荒れ野の中の光 | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

エテル3:1-6

主はヤレドの兄弟に、主の前を去って山を下り、見たことを書き記すように命じられた。しかし、書き記す内容は、主が十字架に上げられる後まで、人の子らに明らかにするのを禁じられた。このためにモーサヤ王は、キリストが御自分の民に御自身を現される後まで、その記録が世の人々に明らかにされることのないように保存したのであった。

そしてキリストは、実際に御自分の民に御自身を現された後、それを明らかにするようにと命じられたのである。

その後、彼らは皆不信仰に陥り、今はレーマン人のほかにはだれもいない。そして、レーマン人もキリストの福音を拒んだので、わたしはその記録を再び地の中に隠すように命じられている。

見よ、わたしは、ヤレドの兄弟が見たとおりのことをこの版に書き記した。ヤレドの兄弟に明らかにされたこと以上に大いなることは、いまだかつて明らかにされたことがない。

 そこで主はわたしに、それらのことを書き記すように命じられた。そして、わたしはそれを書き記した。すると、主はわたしに、それを封じるように命じられた。また、主がその解訳も封じるようにと命じられたので、わたしは主の命じられたとおりに解訳器も封じた。

主がわたしに、「異邦人が彼らの罪悪を悔い改めて、わたしの前に清くなる日まで、これらのものは異邦人に伝わることがないであろう」と言われたからである。

 

「荒れ野の中の光」(英文)1999年4月、シャロン・G・ラーセン、中央若い女性会長会

『モルモン書』に登場するヤレドの兄弟は、この過程を知っていました。彼は主の指示の下に8隻の船を造りましたが,船の中には光がありませんでした。彼は主に助けを求めました。(これはわたしたちにもできることです。)しかし,答えは彼の期待する方法では与えられませんでした。主にとって船の中に光を置くのはいとも簡単なことでしたが,主が本当に望まれたのは,ヤレドの兄弟自身の中に御霊の光をともすことでした。

 

主が懐中電灯は与えてくださらないと分かったときから,16個の石を切り出し,それを光らせて光を下さるように主に願い求めるまでの間,ヤレドの兄弟は何をしていたと皆さんは思いますか。わたしは,きっと彼はサニー・キムやエミリーと同様に,御霊,光によって導かれるよう,断食し,祈り,深く考え,聖文を読み,奉仕し,愛し,赦し,ひたすら従順になるよう努めることに,多くの時間を費やしたことでしょう。

 

ヤレドの兄弟は自分の知るすべてのことを行い,一生懸命に働き,可能なあらゆる手段,中でも主への信仰を行使しながら,自分の考えを携えて主のみもとへ行きました。そして,彼の努力は十分であったので,主はその16個の石に手を触れられ,光が与えられましたエテル2:18-25; 3:1-6参照)。答えは常にあるのです。