さて、四年の終わりに、主は再びヤレドの兄弟を訪れ、雲の中に立って彼と話された。そして、主は三時間ヤレドの兄弟と話し、彼が主の名を呼ぶことを思い起こさなかったので、彼を懲らしめられた。
「すべてわたしの愛している者を,わたしはしかったり,懲らしめたりする」2011年4月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会
神がお与えになる懲らしめには(1)悔い改めを促す,(2)精錬し,聖める,(3)神が御存じのより良い道へ生活を方向転換させる,という少なくとも3つの目的があります。
最初に,赦しと清めの必要条件である悔い改めについて考えてみましょう。主は「すべてわたしの愛している者を,わたしはしかったり,懲らしめたりする。だから,熱心になって悔い改めなさい」とおっしゃいました(黙示3:19)。「そして,わたしの民は,たとえ苦しみを受けることによらなければならないとしても,従順を学ぶまで,必ず懲らしめを受けなければならない」とも言っておられます(教義と聖約105:6。教義と聖約1:27も参照)。末日の啓示の中で,主は「戒めに従って」子供たちを教えていないこと,「家庭でもっと勤勉に家庭のことに携わ」っていないこと(教義と聖約93:41-50)について高い位にある4人の教会指導者に悔い改めるよう命じておられます(主はわたしたちの多くに対しても同様に命じられるかもしれません)。主は雲の中に立って,モルモン書のヤレドの兄弟と「三時間・・・話し,彼が主の名を呼ぶことを思い起こさなかったので,彼を懲らしめられ」ました。これによってヤレドの兄弟は悔い改めました(エテル2:14)。ヤレドの兄弟はこの厳しい叱責しっせきに積極的にこたえたので,後に,肉体を受ける前の贖い主を見て,教えを受ける特権にあずかりました(エテル3:6-20参照)。神の懲らしめがもたらす実は悔い改めであって,それは人を義に導きます(ヘブル12:11参照)。
