しかし見よ、あなたがたの試しの日はすでに過ぎ去った。あなたがたは自分の救いの日を引き延ばしたので、とうとう永遠に間に合わなくなってしまい、あなたがたの滅亡は確定してしまった。まことに、あなたがたは手に入れることのできないものを、生涯をかけて求めてきたのである。あなたがたは、罪悪を行いながら幸福を求めてきた。それはわたしたちの大いなる永遠の頭の内にある、あの義の本質に反することである。
「今こそ用意をする時期である」2005年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会
愛する兄弟姉妹,前回の総大会の後,59年間連れ添った愛する妻が亡くなりました。いつもなら教会の責任で家を空けるわたしが,その土曜日は珍しく家にいて一緒に家事をしました。妻は洗濯をし,わたしは洗った衣服を運んでたたみ,片付けました。そしてソファに腰かけ,妻の手を取って一緒にテレビを見ていたとき,愛するダンツェルは静かに息を引き取ったのです。思いがけない突然の出来事でした。わずか4日前に,医師から定期健診の結果を受け取ったときには,検査結果は良好と出ていたのです。懸命に蘇生処置を施しましたが,息を吹き返すことはありませんでした。衝撃と悲しみで胸が張り裂けんばかりでした。最愛の友人であり,10人の子供の天使のような母,56人の孫の祖母であった妻は,わたしたちのもとを去りました。ダンツェルはいとしい,愛にあふれた伴侶というだけでなく,教師でもありました。その高潔な模範からは,信仰や徳,従順,憐れみを学ぶことができました。また,耳を傾け,愛することを教えてくれました。彼女のおかげで,わたしは夫,父親,祖父が受けることのできるあらゆる祝福を味わうことができました。
深い感謝の念とともに,世界中の友人から多くの愛の言葉を受け取りました。数え切れないほどの手紙や電話,カード,その他のメッセージが送られて来ました。どれにも妻に対する敬慕の念と,残されたわたしたち家族へのいたわりの気持ちがつづられていました。こうしたメッセージはあまりにも数が多かったため,残念ながら,すべてに返事を差し上げることはできませんでした。皆さん一人一人の大いなる親切に感謝します。ほんとうにありがとうございました。皆さんの言葉は,この悲痛のときに,家族にとって大きな慰めとなりました。わたしたちはほんとうにダンツェルを愛していました。妻がいないことを寂しく思います。
妻の突然の死から,非常に大切な教訓を学ぶことができます。今こそ神にお会いする用意をする時期であるということです。明日では遅いかもしれません。古今の預言者もこう宣言してきました。「現世は人が神にお会いする用意をする時期である。……悔い改めの日を引き延ばすことのないように……。」(アルマ34:32-33。アルマ13:27も参照)
……
試練や試しは,豊かな人にも貧しい人にも同じように訪れます。何年も前,わたしは非常に裕福な男性の手術を担当しました。組織を採取した結果,この男性は癌で病状は進んでおり,癌細胞が体中に広がっていることが分かりました。検査結果を伝えると,男性はすぐに自分の財力に物を言わせようとしました。治療のためならどこにでも行き,どんなことでもするつもりでした。健康を買い戻せると思ったのです。男性は間もなく亡くなりました。「どれだけの富を残したのだろう」と問う人がいました。答えはもちろん「全部」です。
この男性が第一に求めたのは,この世のものでした。価値のない栄光を求めて人生を費やしたのです。彼のことを思うと,次の聖句が心に浮かびます。「見よ,あなたがたの試しの日はすでに過ぎ去った。あなたがたは自分の救いの日を引き延ばしたので,とうとう……間に合わなくなってしま〔った。〕」(ヒラマン13:38)
まったく対照的に,ネルソン姉妹は生涯を通じて,神のみもとに帰る時のために用意しました。一日一日を,生涯最後の日であるかのように生きたのです。地上での時間が貴重であることを理解していた妻は,毎分毎秒を大切にしました。
裁きの日など来ないかのように生きる人もいます。明日を恐れるあまり何もしない人や,昨日の失敗にくよくよして今日という日を無駄に過ごしている人もいます。日時計に刻まれた,ある詩人の言葉を心に留めてください。
わたしの影がとどまる所は
過去と未来の分岐点
その先には,まだ見ぬ時が眠る
暗闇に包まれ,だれの力も及ばない
影の後ろには,二度と戻ることのない道が残る
失われた時,もはや使うことはできない
あなたが手に握るのは,たった一つの時… …
つまり,影がとどまる所,「今」だけなのだ
(ヘンリー・バン・ダイク,“The Sun-Dial at Wells College,”The Poems of Henry Van Dyke(1911年),345。)