彼らが飢えることも渇くこともないように、主が彼らのために備えをされたのである。また主は、彼らに力を与え、キリストの喜びにのまれてしまう苦難のほか、彼らがどのような苦難も受けることがないようにされた。これはアルマの祈りによるものであった。彼が信仰をもって祈ったので、このようになったのである。
「喜びー霊的に生き抜く道」2016年10月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会
最近愛する同僚の一人が,過去20年にわたり経験したつらい試練について話してくれました。彼はこう語っています。「わたしは喜びをもって耐えることを学びました。わたしの苦しみは,キリストの喜びに飲み込まれてしまったのです。(アルマ31:38参照)
皆さんやわたしは,「自分の前におかれている」(ヘブル12:2)喜びに目を向けることで,何を耐え忍ぶことができるでしょうか。どのような悔い改めが可能になるでしょう。どのような弱さを強さに変えられるでしょう。(エテル12:27参照)主のどのような訓練が祝福となるでしょう。(ヘブル12:6参照)どのような落胆や悲劇が,わたしたちの益となるでしょう。(教義と聖約122:7参照)困難に思えるどのような奉仕を,主にささげられるようになるでしょうか。(マタイ19:26,マルコ10:27参照)
熱意を込めて救い主に目を向け,また喜びに目を向けるという主の規範に倣おうとするとき,わたしたちは喜びを妨げる事柄を避ける必要があります。反キリストのコリホルを覚えているでしょうか。方々を巡り救い主に関する偽りを言いふらしていたコリホルは,ついにある大祭司の前に連れて来られ,こう尋ねられました。「なぜあなたは方々歩き回って主の道を曲げようとしているのか。なぜキリストは現れるはずがないとこの民に教えて,彼らの喜びを妨げるのか。」(アルマ30:22)
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主は喜びを得る方法を教えてくださいました。天の御父を神とすることを選び(1ニーファイ17:40参照),救い主の贖いが自分の生活に及んでいることを感じられるとき,わたしたちは喜びで満たされます。(モーサヤ4:2-3参照)伴侶をいたわり,子供たちを導く度に,だれかを赦し,だれかに赦しを求める度に,喜びを感じることができます。
皆さんとわたしが日の栄えの律法に従って生きることを選ぶ度に,聖約を守り,人々も聖約を守ることができるよう助ける度に,喜びはわたしたちのものとなるのです。
詩篇の言葉を心に留めてください。「わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ,わたしは動かされることはない。……〔主〕の前には満ちあふれる喜びがあ〔る〕。」(詩篇16:8,11)この原則がわたしたちの心に深く刻まれるなら,毎日が喜びと楽しみの日となるのです。(イザヤ35:10,2ニーファイ8:3参照)このことを,イエス・キリストの聖なる御名によって証します,アーメン
