しかし見よ、悪魔がわたしを欺いたのです。悪魔は天使の姿でわたしに現れて、『この民は皆、未知の神を求めて迷っているので、行って改心させよ』と言いました。また悪魔はわたしに、『神はいない』と言い、わたしが言うべきことも教えてくれました。そこで、わたしは悪魔の言葉を教えてきました。わたしは、悪魔の言葉が肉の思いに快いので、それを教えてきたのです。また、わたしはそれを教えてついに大きな成功を収めたので、自分でもそれが真実だとまったく信じるようになりました。このようなわけで、わたしは真理に逆らい、とうとうこの大きなのろいを招いてしまいました。」
「えり抜きの聖見者」2003年10月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会
終わりの日に,サタンは自分に従った者たちを「助けようと」はしません(アルマ30:60参照)。助けられないのです。イエスが必ず大勝利を収められるだけでなく,サタンが築いた見かけ倒しの建物,すなわち「肉の思いに快い」建物は崩壊してしまいます。その「崩れ方は非常に甚だし」いのです(アルマ30:53;1ニーファイ11:36参照)。今でも,放蕩生活から「本心」に立ち返った人々の生活を見ると,悪魔の教義がすでに崩壊の兆しを見せているのが分かります(ルカ15:17参照)。中には,悪魔に従うことのむなしさを知り,「御言葉を聞く用意のできている」人たちもいます。この人々は,救いをもたらす啓示と翻訳が伝えられるのを待っているのです(アルマ32:6参照)。
兄弟姉妹の皆さん,回復された福音が宣言する真理を出し惜しみしてはなりません。慰めを与える啓示と真理を教える翻訳を差し控えてはなりません。それらは「現在のことをありのままに……未来のこともまた,ありのままに」示すのです。教義を知らないために苦しみ,疲れ切った世の人々が,それらを必要としています。贖いの血こそが彼らを助けます(モルモン書ヤコブ4:13参照)。出し惜しみすれば,悔い改めを妨げるだけでなく,「太陽のように美しく,月のように明るくな」るより良い道を隠してしまうのです(教義と聖約105:31参照)。
わたしたちは善くも悪くも見られることを覚えておきましょう。中には,風変わりだとか,道を誤っていると言う人もいます。中傷に耐えましょう。そのような人々は非難することに飽きると,「大きく広々とした建物」が,実は汚く狭苦しい三流ホテルであることに気づくのです(1ニーファイ8:31-33参照)。わたしたちはののしる者にののしり返すのでなく,心に留めないようにしなければなりません(教義と聖約31:9参照)。その代わり,信仰の盾をかざし,飛んで来る火の矢を阻止するために精力を注ぎましょう。福音が支えとなってくれるはずです(1ニーファイ15:24参照)。
兄弟姉妹の皆さん,このうえ何を言えるでしょうか。言えるのはこれだけです。「たたえよ,主の召したまいし,主と語りし予言者を」(モルモン書ヤコブ6:12;「たたえよ,主の召したまいし」「賛美歌』16番)イエス・キリストの御名によって,アーメン
