それでもわたしは、心をかたくなにした。幾度となく呼ばれたが、わたしは聞こうとしなかった。だからわたしは、これらのことについて知っていながら、知りたいと思わなかった。そこでわたしは、悪い心のまま、さばきつかさの統治第十年のこの七月の四日まで、神に背き続けた。
「祈りと促し」(英文)2006年10月、ボイド・K・パッカー、十二使徒定員会
皆さんがたとえかつてのアルマのように若く強情であっても,あるいは「これらのことについて知っていながら,知りたいと思わなかった」アミュレクのように心を閉ざしていても,祈ってください(アルマ10:6)。
祈ることを学んでください。しばしば祈ってください。思いと心を込めて祈ってください。ひざまずいて祈ってください。祈りは天の扉を開ける自分自身の鍵です。鍵は幕のこちら側に付いています。また,わたしはすべての祈りを「みこころが……行われますように」という言葉で結ぶことを学んできました(マタイ6:10。ルカ11:2;3ニーファイ13:10も参照)。
困難や落胆,苦痛や失望がまったくなくなることを期待してはなりません。なぜなら,これらに耐えるために,わたしたちは地上へ送られたからです。
ある人がこう書いています。
主が作ってくださった計画も
思慮と忍耐力のない手の中では
もつれてしまう。
苦しい叫び声を上げるわたしたちに,
主はこう言われる。
「わたしがもつれをほどいる間、静かにしていなさい」
(作者不詳, ジャック・M・リオン他編,Best-Loved Poems of the LDS People (1996年), 304)