見よ、神は彼らの心を改めさせ、彼らを深い眠りから覚まされたので、彼らは目覚めて神に従った。見よ、彼らはかつて暗闇のただ中にいたにもかかわらず、後に永遠の御言葉の光に照らされるようになった。まことに彼らは死の縄目と地獄の鎖に縛られ、永遠の滅びが彼らを待ち受けていた。
「主に帰依する」2012年10月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会
わたしたちは使徒ペテロの働きから証と改心について多くのことを学べます。
イエスはピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき,弟子たちにこの心にしみる質問をされました。「あなたがたはわたしをだれと言うか。」
ペテロは率直に答えました。
「『あなたこそ,生ける神の子キリストです。』
すると,イエスは彼にむかって言われた,『バルヨナ・シモン,あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは,血肉ではなく,天にいますわたしの父である。』」(マタイ16:15-17)
ペテロの返答と救い主の教えから明らかなように,証とは,個人が啓示によって得る,霊的な真理についての知識です。証は神からの賜物であり,神のすべての子供たちが得られるものです。誠実に真理を求める人はだれでも,そのために必要な,イエス・キリストを信じる「ごくわずかな信仰」を働かせて「試し」(アルマ32:27),「言葉の力を使〔い〕」(アルマ31:5),「聖なる御霊の勧めに従い」(モーサヤ3:19),目覚めて神に従う(アルマ5:7参照)ことで証を得ることができます。証は個人の責任を増すものであり,目的と確信と喜びの源です。
霊的な真理についての証を求め,それを得るためには,救い主を信じながら誠心誠意で(モロナイ10:4参照)問い,求め,たたく必要があります(マタイ7:7;3ニーファイ14:7参照)。証の基本部分は,天の御父が生きていてわたしたちを愛しておられ,イエス・キリストが救い主であられ,完全な福音がこの末日に地上に回復されたということを知ることです。
