また彼らは、キリストの来臨の日を待ち望んで、罪の赦しを保ち、イエス・キリストの御心と力と死の縄目からの解放とによって死者の復活がもたらされることを考えて、大きな喜びに満たされた。
「主の御手」2001年4月、ボイド・K・パッカー、十二使徒定員会
エゼキエルはこのように述べています。「すなわちその悪人が質物を返し、奪った物をもどし、命の定めに歩み、悪を行わないならば、彼は必ず生きる。決して死なない。
彼の犯したすべての罪は彼に対して覚えられない。」(エゼキエル33:15–16)
この言葉に注目してください。決して覚えられないのです。
わたしたちは「いつも罪の赦しを保〔つ〕」(モーサヤ4:12; 2ニーファイ25:26; 31:17; モーサヤ3:13; 4:11; 15:11; アルマ4:14; 7:6; 12:34; 13:16; ヒラマン14:13; 3ニーファイ12:2; 30:2; モロナイ 8:25; 10:33参照) ことができます。水に沈めるバプテスマは罪の赦しのために行われます。その聖約は毎週聖餐を受けることによって新たにすることができます。(教義と聖約27:2)
贖罪は実際に効力を及ぼすだけの価値を持ち、個人にとって日常的な価値を持つものです。皆さんの生活の中でこれを応用してください。祈りによって始めるという非常に単純な方法によって、順罪の効力を受けることができます。その後は問題や過ちから解放され、悔い改めを通して罪悪感をぬぐい去り、平安を得ることができます。