アルマ 1:3 福音を教える | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ 1:3

彼は人々の中を巡り歩いて、自分で神の言葉と称したことを彼らに宣べ伝え、教会に圧迫を加え、また、祭司と教師は皆、人望を得るはずであって、自分の手で働く必要はなく、人々によって生活を支えられて当然であると宣言した。

 

「福音を教える」(英文)1999年10月、ダリン・H・オークス、十二使徒定員会

第2は,福音の教師は,わたしたちが仕える主がされたと同様に,教えを受ける人に対して全身全霊を傾けることです。羊が必要としていること,つまり生徒のためになることに全神経を集中させるのです。福音の教師は自分のことを中心に考えたりしません。この原則を理解している人は「レッスンを提示すること」が自分の召しであるとは考えません。なぜならば,レッスンの提示に重点を置いた教え方は,教師の視点に基づいたもので,生徒の立場に立って教えるものではないからです。

 

生徒の必要に目を向けている福音の教師は,自分の立場を高めることに努めたりはしません。また,自分が関心を持っている事柄の知識を誇示してレッスンの焦点をぼかし,救い主に対する生徒の理解をあいまいにするようなこともしません。これは,福音の教師は決して祭司の偽善売教に身を任せてはならないという意味です。祭司の偽善売教とは「利益と世の誉れを得るために,説教をして自分自身を世の光とすること」です(2ニーファイ26:29)

 

福音の教師は「人望を得る」ためにアルマ 1:3) ,あるいは「富と誉れを得ようとして」教えを説くようなことをしませんアルマ1:16)。彼らはモルモン書のすばらしい模範に従います。すなわち,「教えを説く者は聞く者よりも偉いわけではなく,教える者は学ぶ者よりも偉いわけではない」のですアルマ1:26)。教師と生徒はともに主を仰ぎ見るのです。