わたしはあなたに言う。行きなさい。そして、だれであろうとわたしに背く者を、あなたはその者の犯した罪に応じて裁きなさい。もしその者があなたとわたしの前で罪を告白し、真心から悔い改めるならば、その者をあなたは赦しなさい。わたしもその者を赦そう。
そしてわたしは、民が悔い改める度に、わたしに対する彼らの過ちを赦そう。
「神から受け継いだ特質と永遠の行く末」2022年4月、デール・G・レンランド、十二使徒定員会
心から悔い改めるときに,自分の行為が何であったか,それがどれほど重大であったか,何度繰り返したかにかかわらず,霊的な傷は残りません。※1 悔い改めて真心から赦しを求める度に,赦されるのです。(モーサヤ26:29-30;モロナイ6:8;教義と聖約58:42-43参照)救い主イエス・キリストからの賜物は何とすばらしいことでしょう!(モロナイ7:27-28参照。すばらしいことに,わたしたちの判士は弁護者でもあります。)聖霊は,わたしたちが赦されたことを確認してくださいます。喜びと平安を感じるときに,(モーサヤ4:3参照)罪悪感は拭い去られ,(エノス1:6参照)もう自分の罪のために苦しむことがなくなります。(アルマ36:19参照)
心から悔い改めた後も,つまずくことはあります。「つまずく」とは,悔い改めが不十分だったというわけではなく,単に人間の弱さを反映しているだけかもしれません。「主が弱さと背きをまったく異なった見方で見ておられる」ことを知ると,どれほど慰められるでしょうか。わたしたちの弱さにおいて助けてくださる救い主の能力を疑ってはなりません。なぜなら,「弱さについては,常に憐れみをもって語っておられ〔る〕」※2 からです。
※1 ジョセフ・スミスは次のように教えました。「霊にとって,神に近づくのに遅すぎる時など決してありません。……皆,赦しをもたらす憐れみの及ぶ範囲にいるのです。これはすばらしい教義です。人類の救いの計画における神の哀れみと慈悲の心の深さが示されているからです。この栄えある真理は,理解を広げ,苦難と困難と苦悩の下にある心を支えてくれるものに思われます。」(『歴代大管長の教え―ジョセフ・スミス』471)ボイド・K・パッカー「幸福の計画」2015年4月も参照
※2 リチャード・G・スコット「イエス・キリストの贖罪から得られる個人の強さ」2013年10月。後で悔い改めるという無神経な計画を持って意識的に罪を犯そうとすること,すなわちあらかじめ計画された悔い改めは主にとって忌まわしいものです。そのようなことをする人は「神の御子を,自ら十字架につけて,さらしものにする」(へブル6:4-6参照)のです。この警告も考慮するべきです。「 もしわたしたちが,真理の知識を受けたのちにもなお,ことさらに罪を犯しつづけるなら,罪のためのいけにえは,もはやあり得ない。ただ,さばきと……激しい火とを,恐れつつ待つことだけがある。」(へブル10:26-27)
