あなたがたに言うが、もしあなたがたが、神の慈しみと神のたぐいない力、神の知恵、神の忍耐、人の子らへの神の寛容を知るようになり、また主に頼り、主の戒めを熱心に守って、自分の生涯、すなわち、死すべき体の生涯の最後まで信仰を持ち続ける人に救いが与えられるように、世の初めから贖罪が備えられてきたことをも知るようになったならば、
「与えられたもので満足する」2000年4月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会
アルマの短い言葉が、まじめな人々や彼を通して改宗した人々の心を開きました。「わたしは主から与えられたもので満足すべきだからである。」(アルマ29:3)けれども、その直前までアルマは「神のラッパ」となり「地を震わせる」ことを切に望んでいたのでした(アルマ29:1)。もちろん利己心から望んだのではなく、アルマは全人類に悔い改めと贖いの計画を告げ知らせて、地に悲しみがなくなるようにしたかったのです(アルマ29:2参照)。しかしアルマは、最終的には神が人の望むままになさるということに満足を覚えます(アルマ29:4参照)。これ以上に公平なことがあるでしょうか。
こうして召しに満足を覚えたアルマは、人を救う器となることを謙虚に望みます(アルマ29:9参照)。この重要な霊の旅路がわずか9節の独白の中に込められています。
わたしたちも自分の望みをよく吟味して神の御心に合わせれば、これと同じ満足が得られます。
……
わたしたちはアルマの霊感に満ちた示唆的な物語に別のものを見ます。アルマは、主はすべての国に主の言葉を説き教えることのできる人を置かれることを認めています(アルマ29:8参照)。したがって、自分の分担を広げようと何度も強く求めると、実際にほかの人々が働く場を狭めてしまいます。さらに、わたしたちが満たされた気持ちで信頼を示せば、聖霊が貴重な時間を特別な働きに費やすことがおできになるのです。
霊的な波長が合うと、「すべてのことの意味」を知らなくとも(1ニーファイ11:17)、霊的な確信が生まれます。この満たされた確信から生じるのは、高慢ではなく静かな悟りです。「熱心に… … 携わり」ますが、鐘や太鼓で触れ回ることはしません(教義と聖約58:27,28節も参照)。
この霊的な満足が得られるのはイエスの贖罪を受け入れるときです。なぜなら「神の慈しみと神のたぐいない力、神の知恵、神の忍耐、人の子らへの神の寛容を知るようになり、また…… 世の初めから贖罪が備えられてきたことをも知るように」なるからです(モーサヤ4:6参照)。兄弟姉妹の皆さん、もう一度考えてみてください。「ラッパ」からへりくだった「器」へ、「地を震わせる」ことから「幾人かでも悔い改めに導」くことへのアルマの望みの変化は驚きです。さらに言い添えれば、わたしたちが成長する機会が与えられていることは何と驚くべきことでしょうか。それがわずか9節で表現されようと、一生かかろうと。
