モーサヤ4:2 手が清く,心のいさぎよい者 | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ4:2

そして彼らは、自分たちがこの世的な状態にあり、大地のちりよりも劣っていると思った。そして彼らは皆、声を合わせて大声で叫んだ。「おお、憐れんでください。わたしたちが罪の赦しを受けて心が清められるように、キリストの贖いの血の効力を及ぼしてください。わたしたちは、天地と万物を創造され、また将来人の子らの中に降って来られる神の御子イエス・キリストを信じています。」

 

「手が清く,心のいさぎよい者」2007年10月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会

モルモン書には,イエス・キリストの使命と贖いについて,ベニヤミン王のすばらしい説教が残されています。王の簡潔な教義を聞いた群衆は地に伏しました。「主への畏れが彼らに生じたからである。そして彼らは,自分たちがこの世的な状態にあり,大地のちりよりも劣っていると思った。そして彼らは皆,声を合わせて大声で叫んだ。『おお,憐れんでください。わたしたちが罪の赦しを受けて心が清められるように,キリストの贖いの血の効力を及ぼしてください。わたしたちは,天地と万物を創造され,また将来人の子らの中に降くだって来られる神の御子イエス・キリストを信じています。』」(モーサヤ4:2, 強調付加)

 

この聖句でも,罪の赦し,つまり手が清いことと,自らの性質が変わること,つまり潔い心を持つことの二つの祝福について語られています。

 

ベニヤミン王は,その教えのまとめとして,霊的成長の基盤となるこの二つの側面の重要性を改めて強調しています。

 

「さて,あなたがたに語ってきたこれらのことのために,すなわち,神の御前を罪なく歩めるよう,日々罪の赦しを続けて受けるために,……それぞれ持ち物を貧しい人に分け与えるようにしてほしい。」(モーサヤ4:26,強調付加)

 

わたしたちは,清い手と潔い心の両方を持てるよう真心から願うべきです。つまり,日々罪の赦しを受けること神の御前に罪なく歩むことの両方です。手が清いだけでは,主の御前に立つには不十分です。主は,その心が潔く,「きずも,しみもない小羊のような」御方であって(1ペテロ1:19),わたしたちのためにその尊い血を惜しむことなく流されたのです。