しかしわたしは、果樹園でこれ以上何ができたであろうか。わたしは怠けて養いを与えなかったであろうか。いや、わたしは養いを与えてきた。果樹園を掘り起こし、刈り込み、肥料もやった。ほとんど一日中、手を差し伸べてきた。しかし、終わりが近づいている。果樹園の木をすべて切り倒し、火の中に投げ込んで燃やしてしまわなければならないのは、わたしには悲しいことである。わたしの果樹園をだめにしたのは何者であろうか。」
「悔い改め」(英文)1991年10月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会
悔い改めの苦しい過程にあって、私たちは時折神に見捨てられたように感じることがあります。実際には、自らの行為ゆえに自分が神から離れているのです。ですから悪に背を向けながらもまだ完全には神の方を向いていない間は、特に誘惑に遭いやすい状態と言えます。ここであきらめてはいけません。むしろ慈悲に満ちた腕を伸ばして、「一日中」(ヤコブ5:47; ヤコブ6:4; 2ニーファイ28:32; モルモン5:11)待っておられる神のみもとへ到達するよう努めなくてはならないのです。私たちとは異なり、神には特定の営業時間というものはないのです。