2ニーファイ24:12-15 高ぶりを心せよ | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

2ニーファイ24:12-15

おお、暁の子ルシフェルよ、あなたはどうして天から落ちたのか。もろもろの国々を打ちのめしたあなたが、地に切り倒されるとは。 あなたはかつて心の中で言った。「わたしは天に昇り、わたしの王座を神のもろもろの星よりも高くしよう。また、北の果てにある集会の山に座そう。

 わたしは雲の頂に昇り、いと高き者のようになろう。」 しかし、あなたは地獄に落とされ、穴の底に入れられる。

 

 

「高ぶりを心せよ」(英文)1989年4月、工ズラ・タフト・ベンソン大管長

前世の会議において、あの「暁の子」ルシフェルが投げ落とされたのは、その高慢さのゆえでした。(2ニーファイ24:12-15; 教義と聖約76:25-27; モーセ4:3参照)

 

神がこの世の終わりに火で地を清めるとき、誇り高ぶる者はわらのように焼かれますが、柔和な人は地を受け継ぎます。(3ニーファイ12:5; 25:1; 教義と聖約29:9; ジョセフ・スミス1:37; マラキ4:1参照)

 

主は教義と聖約の中で何度か、この高ぶりに注意するようにと命じておられます。その中には、教会の第二の長老であるオリヴァ・カウドリと、予言者の妻であるエマ・スミスに対する警告もあります。(教義と聖約23:1; 25:14; 38:39参照)

 

高慢は、はなはだしく誤った解釈をされている罪であり、多くの人が無意識のうちにこの罪を犯しています。(モーサヤ3:11; 3ニーファイ6:18参照) 聖典の中には、義にかなった高ぶりというようなことを教えている箇所はひとつもありません。高慢は常に罪と見なされています。ですから、世の中でこの言葉がどのように使われているかは問題ではありません。私たちが理解しなければならないのは、神がこの言葉をどのように使われているかです。そうすれば聖典の言葉を理解して、その恩恵にあずかることができるのです。

 

ほとんどの人は、高慢というと「自己中心」「うぬぼれ」「自慢」「尊大」「傲慢」などの言葉を思い浮かべます。確かにこれらはみな、高慢の罪の中に数えることができますが、核心となるものが抜けています。高慢の中心をなすのは「敵対心」、すなわち神と同胞に対する敵対心です。敵対心は「憎悪、敵意、反感」などを意味します。サタンは、この力によって私たちを支配しようとします。