さて、わたしニーファイはイザヤの言葉に喜びを感じるので、もっと彼の言葉を書き記そう。わたしは彼の言葉をわたしの民に当てはめ、また彼の言葉をわたしの子孫に伝えよう。わたしが贖い主にまみえたと同じように、まことに彼も贖い主にまみえたからである。
「モルモン書―イエス・キリストについてのもう一つの証ー分かりやすくて貴いこと」2005年4月、ボイド・K・パッカー、十二使徒定員会
ニーファイは,兄たちから暴力を受けたとき,天使から語りかけられたときのことを思い出させて言いました。「あなたがたは心が鈍っていたので,その言葉を感じることができませんでした。」(1ニーファイ17:45)聖霊は人の心に語りかけられます。それが理解できたとき,新約聖書であれ,モルモン書やほかの聖文であれ,なぜキリストの言葉が快い気持ちを与えてくれるのかが分かりました。やがて,わたしの疑問の答えはすべて聖文の中にあることが分かりました。
こうあります。「さあ,その言葉は次のとおりである。あなたがたはこれらを,自分自身とすべての人に当てはめてみるがよい。」(2ニーファイ11:8。1ニーファイ19:23-24;2ニーファイ6:5;11:2も参照)つまり,聖文はわたし自身に,そして,あらゆる人に当てはめることができるのです。
その時々に応じて特別な意味を帯びてくる聖句に出会うと,それを記した人がわたしの人生や感情について,円熟した深い理解力を持っていたことを感じます。
