黙示録3:5
勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。
「世に打ち勝つ」2017年4月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
何年も前,デビッド・O・マッケイ大管長はサモアへ向かう船上でのすばらしい経験について語りました。眠りに落ちた後,大管長は「荘厳な光景を示現で見ました。美しい白い街が目に入りました。距離はかなりありましたが……街のここかしこに,芳しい香りの漂う実を付けた木々や,……満開の花が見えました。一団の大群衆が,街に近づいている光景が目に入りました。皆,白いゆったりとした衣……を身に着けていました。……わたしはすぐその群衆の指導者の姿に目が留まりました。容姿を横から少し見ただけでしたが,……どなたであるかが一目で分かりました。救い主でした。救い主の御姿の輝きは,まさに栄光そのものでした。救い主の周囲には安らかさがありました。……」
マッケイ大管長はこう続けます。「その街は,救い主の……永遠の街でした。救い主に従っている人々は,そこで平安に,またいつまでも幸福に住むことになっていました。 」
そこでマッケイ大管長はこう自問します。「この人々は一体,だれなの〔だろう。〕」
大管長は次に起こったことを説明しています。
「救い主はわたしの胸の内をお察しになったかのように,その人々の上空に……現れた半円形のものを指差して,答えてくださいまし た。それには,金で次のような言葉が刻まれていました。
『この人々は世に打ち勝った人々,
真に再び生まれた人々である。』」(『歴代大管長の教え—デビッド・O・マッケイ 』1–2参照)
わたしは数十年にわたり,「この人々は世に打ち勝った人々」であるという,その言葉が忘れられませんでした。
主が世に打ち勝った人々に約束された祝福は,息を飲むほどすばらしいものです。「白い衣を着せられ……〔その名を〕いのちの書」に記されるのです。主は「〔御〕父と御使たちの前で,その名を言いあらわ〔されます〕。」(黙示3:5)一人一人が「第一の復活にあずか〔り〕」,(教義と聖約76:64)永遠の命を受けて,(欽定訳〔英文〕黙示2章前書き参照)神の御前から「決して二度と外へ出ることはない」(黙示3:12)のです。
世に打ち勝ち,そのような祝福を受けることなどできるのでしょうか。もちろんできます。