ヤコブ1:3-4
あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。 だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。
「聖徒たちの喜び」2019年10月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会
今の時代は,服装や娯楽,性的清さに関する主の標準を守ろうとする人に対して,時に無慈悲な攻撃がソーシャルメディアの中や直接個人に行われる時代です。あざけりや迫害という十字架を負うのは,聖徒の中でも青少年やヤングアダルト,および女性や母親であることがよくあります。そのようなむごい扱いに打ち勝つのは容易ではありませんが,ペテロの言葉を思い出してください。「キリストの名のためにそしられるなら,あなたがたはさいわいである。その時には,栄光の霊,神の霊が,あなたがたに宿るからである。」(1ペテロ4:14。2ニーファイ9:18と3ニーファイ12:12も参照)
エデンの園で,アダムとエバは「不幸を知らないので喜びも……ない状態にとどまって」いました。(2ニーファイ2:23; モーセ5:10-11も参照)今わたしたちは責任を負える人として,罪や試練,弱さ,そのほか幸福の妨げとなるものを含め,どんな形であれ惨めな状態に打ち勝つときに,喜びを見いだします。これは弟子の道において成長を感じるときの喜び,「罪の赦しを受け,良心の安らぎを得た」ときの喜び(モーサヤ4:3),キリストの恵みを通して心の広がりと成長を感じるときの喜びです。(ヤコブの手紙1:5、ヤコブの手紙1:2,3-4参照)
