1テモテ1:5 一握りの粉と少しの油 | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1テモテ1:5
わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を目標としている。



「一握りの粉と少しの油」(英文)1996年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
疲れた足取りで町に人ると,エリヤと同じようにやつれた女性が彼を迎えました。恐らく,こののどの渇いた旅人は,申し訳なさそうに頼んだことでしょう。「器に水を少し持ってきて,わたしに飲ませてください。」彼女がその申し出にこたえようと背を向けると,エリヤはそれにさらにこう付け加えました。「手に一口のパンを持ってきてください。」
……
飢えと疲れと母親としての苦悩の中で,彼女はその見知らぬ人にこう叫びます。「あなたの神,主は生きておられます。わたしにはパンはありません。ただ,かめに一握りの粉と,びんに少しの油があるだけです。今わたしはたきぎ2, 3本を拾い〔この記述は,粉が調理にほんのわずかの火力しか必要としないほどの量であったことを物語っています〕, うちへ帰って,わたしと子供のためにそれを調理し,それを食べて死のうとしているのです。」
……
しかし,エリヤには土の用向きがありました。このやもめとやもめの息子を含めたイスラエルの未来が危険にさらされているのです。エリヤの預言者としての義務は,彼の人間としての意志にかかわりなく,彼をさらに大胆にさせます。

「恐れるにはおよばない。」彼は言います。「しかしまず,それでわたしのために小さなパンを,一つ作って持ってきなさい。その後あなたと,あなたの子供のために作りなさい。

『主が雨を地のおもてに降らすまで,かめの粉は尽きず,びんの油は絶えない』とイスラエルの神,主が言われるからです。」

そして,やもめの女の信仰が控えめに表現されます。わたしは,これらの状況の下での信仰として,これほどの僻大な姿を聖文の中から見いだすことができません。「彼女は行って,エリヤが言ったとおりにした。」列王上17:1-24参照)

……

この女性は,イエスが心から称賛されたもう一人の女性と似ています。わずかな金額ながら自分の有り金すべてであるレプタニつを宮のさい銭箱に入れた女性です。イエスは,彼女はそのだれよりも多くささげたと言われました。マルコ12:41-44参照)

残念ながら,この二人の女性の名前は『聖書』には記されていません。でも, もし来世で彼女たちに会う機会があれば,わたしは彼女たちの足もとにひざまずき,「ありかとう」と言うでしょう。すばらしい生き方に,驚くべき模範に,そして,あなたがたの心の中にあってそのような「清い心……から出てくる愛」1テモテ1:5を生み出す敬神の念に感謝しますと。

事実,彼女たちのために,今日,直接何かしてあげられたらと思います。伴侶に先立たれた方々,父親不在の方方,不利益と抑圧を余儀なくされている方々,飢えや凍えに苦しみ,帰るべき家のない方々のために話ができればと願っています。主がいつも愛され,特に差し迫った問題として語られた方方のために話ができればと思います。教義と聖約58:11参照)わたしがお話したいのは,貧しい人々についてです。