1テサロニケ4:7 神殿の祝福を受けるための個人の備え | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1テサロニケ4:7
神がわたしたちを召されたのは、汚れたことをするためではなく、清くなるためである。


「神殿の祝福を受けるための個人の備え」2001年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会
ゴードン・B・ヒンクレー大管長の霊感あふれる導きの下で、今では、神殿はいつに増して身近な存在となっています。どの神殿にも、「聖きを主に捧ささぐ」出工ジプト28:36;39:30;詩篇93:5参照。)という言葉が刻まれています。この言葉は、神殿自体もその存在の目的もともに聖いことを意味しています。また同時に、神殿に参入する者も聖さという特質を身に付けていることが求められています。出工ジプト19:5-6;レビ19:1-2;詩篇24:3-5;1テサロニケ4:7;モロナイ10:32-33;教義と聖約20:69;110:6-9参照。「聖句ガイド」「聖い」の項も参照。)民に聖さを求めるよりも、建物に聖さを求める方が容易かもしれません。わたしたちが聖さを身に付けるためには、絶え間なく、地道に個人的な努力を続ける以外に方法がないからです。どんな時代であっても、主の僕(しもべ)たちは、聖なる状態からそれることの危険性について警告し続けています。ニーファイの弟のヤコブはこう書いています。「わたしは、聖さについてあなたがたに語るだろう。しかしあなたがたは、今聖なる状態ではなく、またわたしを師と見なしてくれているので、わたしは、罪の結果についてあなたがたに教えることが必要である。」2ニーファイ9:48

さて、わたしは同じ責任感から、教える必要があると感じています。神殿がわたしたち教会員のために備えられているのですから、わたしたち教会員としても神殿参入のために備える必要があるからです。