1テサロニケ3:10
わたしたちは、あなたがたの顔を見、あなたがたの信仰の足りないところを補いたいと、日夜しきりに願っているのである。
「弱り果てて意気そそうしないために」(英文)1990年4月、二一ル・A・マックスウェル、十二使徒定員会
奉仕,勉強,祈り,礼拝は,「〔私たちの〕信仰の足りないところ」(1テサロニケ3:10)を補うための4つの基本的な事柄です。この4つの具体的な方法で信仰を養うことをやめるならば,私たちの信仰は弱くなってしまいます。
たとえば,勉強を怠ると人は知的にも霊的にも糧を得ることができなくなります。霊感にあふれた言葉は確かに重要です。なぜなら「人は信仰によって働くとき,……言葉によって働く」からです。(「信仰講話」7: 3)この荒廃しつつある世の中にあって,主は「御霊の剣,すなわち,神の言」を用いて私たちの心を貫き通すことができます。(エペソ 6:17。ジェロム 1:12参照)しかし,この大会で何度も言われてきたように,み言葉を聞いても,信仰とクリスチャンとしての奉仕が伴わなければ何もなりません。(ヘブル4: 2参照)
「人はどうしてまだ仕えたこともなく,見も知らず思いもかけない主人を知ることができようか。」(モーサヤ5: 13)
心からの祈りと純粋な礼拝の気持ちがなくなるとやはり信仰が薄れ,「苦難の日に……気落ち」するようになります。(教義と聖約109: 38)
うみ疲れる原因のほとんどは,「生れながらの人」(1コリント2: 14) ,つまり堕落した状態のままでいるためです。この「肉欲に従う人」(モーサヤ3:19) は,人の内にあるほかの特質とは異って,抱えているにはあまりにも重く,とても「身内」とは言えません。
