ピリピ3:10 望みをもって耕す | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

2023年10月総大会

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ピリピ3:10
すなわち、キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり、



「望みをもって耕す」2001年4月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会
比類ないことに、イエスは罪を贖うにあたり、「万物の下に身を落とし、それによってすべてのことを悟」られました (教義と聖約88:6教義と聖約122:8も参照) 。どれほど深い絶望と苦痛の淵に身を落とされたことでしょう。主はわたしたちを救い、人類の苦悩を理解するためにそれを行われたのです。したがって、わたしたち自身の共感の心をさらに養ってくれる訓練の経験を恨んではなりません (アルマ7:11-12参照) 。怠惰な心は何の解決にもなりませんし、恨む心も同じです。ですから、全面的にキリストの「苦難にあずか」るには弟子としての責任がすべて求められるのです (ピリピ3:101コリント1:9も参照)

そのうえ、イエスはわたしたちの罪をその身に負って贖ってくださっただけでなく、わたしたちの病や痛むような悲しみまでも負ってくださいました (アルマ7:11-12マタイ8:17参照) 。このように、主はわたしたちが経験することをすべて個人的に御存じであり、わたしたちを救う方法はもとより、どのようにしてわたしたちに完全な憐れみを示すべきかも御存じです。「独りで酒ぶねを」踏まれたという主の苦悩はかくも驚くべきものでした (教義と聖約133:50) 。

……

イエスと贖罪に関するこれらの「本質的な」聖句をわたしたちに当てはめることができる具体的な方法が、たくさんあります。しかし、すべては概念の天蓋とも呼ばれる次の聖句に包含されています。「わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。」 (マタイ11:29) 事実、深く学ぶにはほかに方法がないのです (1ニーファイ19:23参照) 。無限の贖罪は非常に広範で普遍のものですが、最終的にはきわめて個人的なものです。幸いにも、わたしたちは贖罪を通して赦しを受けられます。そして非常に大切なこととして、わたしたちには赦されたことが分かります。これこそ、過ちからの最終的な、喜びあふれる解放なのです。