エペソ1:10
それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。
「尊く,大いなる約束」2017年10月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会
わたしたちが日々直面する大きなチャレンジの一つは,世の煩い事にあまりの時間とエネルギーを取られ,最も重要な永遠にかかわる事柄をなおざりにしてしまうことのないようにすることです。(教義と聖約25:10 参照)多くの責任や過密なスケジュールに追われるあまり,大切な霊的優先事項を思い起こし,心を向けることをいとも簡単に忘れてしまうのです。速く走ることに気を取られて,どこを目指し,何のために走っているのか自体を忘れてしまうことすらあります。
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心に留めておいてください。安息日と神殿はどちらも,神を礼拝し,神が子供たちに与えられる尊く,大いなる約束を受けて覚えるために特別に取っておかれた神聖な時間であり,神聖な場所です。神によって定められたように,この二つの神聖な助けの源の主要な目的はまったく同じです。すなわち,天の御父とその独り子と聖霊に対して,そして救い主の回復された福音の儀式と聖約にかかわる約束に対して,熱心に,繰り返し,心を向けることなのです。
重要なことに,個人と家族が神の尊く,大いなる約束を心に留めるうえで最も効果的な時間と場所,この究極の組み合わせは家庭であるべきです。家を離れて日曜日の集会に出席したり,神殿という神聖な場所に参入することはとても重要ですが,それだけでは不十分です。これらの神聖な行いによって得た御霊と力を家庭に持ち帰って初めて,わたしたちは現世における偉大な目的に目を向け続け,世にある腐敗に打ち勝つことができるのです。安息日や神殿での経験は個人や家族,家庭を活性化する霊的な触媒となるべきです。それにより,学んだ大切な教訓を継続的に思い起こし,聖霊とその力を招き,主イエス・キリストへの改心を続けて深め,そうして神の永遠の約束に対する「完全な希望の輝き」(2ニーファイ31:20)を持つことができるのです。
安息日と神殿は,家庭において「天にあるもの地にあるものを,ことごとくキリストにあって一つに帰せしめ」る(エペソ1:10)うえで「もっとすばらしい方法を」(1コリント12:31,エテル12:11)築くのを助けてくれます。主の神聖な時間を使って,また主の神聖な場所において学んだことを用いて,家庭で何を行うかは,神の性質にあずかる者となるうえで重要です。
