ガラテヤ5:13
兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。
「今日われ善きことせしか」(英文)2009年10月、トーマス・S・モンソン、大管長
使徒パウロはこう勧めています。「愛をもって互に仕えなさい。」(ガラテヤ5:13) また,モルモン書の中のベニヤミン王の言葉を皆さんも覚えているでしょう。「あなたがたが同胞のために務めるのは,とりもなおさず,あなたがたの神のために務めるのである……。」(モーサヤ2:17)
救い主は弟子たちにこう教えられました。「自分の命を救おうと思う者はそれを失い,わたしのために自分の命を失う者は,それを救うであろう。」(ルカ9:24)
救い主が言っておられるのは,自分を捨てて人に奉仕しなければ,自分自身の人生の目的などほとんどないということだとわたしは信じています。自分のためにだけ生きる人は,ついには枯渇してしまい,比喩的に言えば,命を失ってしまいます。一方,自分を捨てて人のために奉仕する人は,成長し,繁栄して,実際に自分の命を救うのです。
1963年10月の総大会で,わたしは十二使徒定員会会員として支持されました。そのとき,デビッド・O・マッケイ大管長はこのように述べました。「人の最高の幸せは,ほかの人のために無私の行いをすることによってもたらされるものです。」(David O. McKay, in Conference Report, Oct. 1963, 8.)
わたしたちはすぐそばで生活していても,心と心が通っていないことがよくあります。わたしたちが力を及ぼせる範囲内に,「ギレアデに乳香はないのでしょうか」と手を伸ばして叫ぶ人がいるのです。(エレミヤ8:22)
教会員は皆,奉仕を行い困っている人を助けたいと思っていることをわたしは知っています。わたしたちはバプテスマを受けたとき「重荷が軽くなるように,互いに重荷を負い合う」と聖約しました。(モーサヤ18:8)皆さんはこれまでに何度,人が困っているのを目の当たりにして心を痛めたことがあるでしょうか。助けの手を差し伸べようと思ったことが,幾度あったでしょうか。にもかかわらず,日々の生活に追われて「きっとだれかが助けてくれる」と思い,人任せにしてしまったことが,幾度あったでしょうか。
わたしたちは日常生活の忙しさに埋没しています。でも,少し立ち止まって自分が何をしているかをよく顧みてみると,それほど重要でもないことに没頭していることが分かるでしょう。つまり,大きな目で見れば,ほんとうは大して重要ではないことに大半の時間を費やし,もっと重要なことをないがしろにしていることが往々にしてあるのです。
何年も前に聞いた詩の一節がわたしの心に残り,人生の道しるべとなってきました。わたしの好きな詩の一つです。
人の必要に気づかずに,
まくらを涙でぬらした夜は
数知れない。
だが,ほんの少し人に尽くしすぎたからといって
悔やんだことは
一度もない。(Anonymous, quoted in Richard L. Evans, “The Quality of Kindness,” Improvement Era, May 1960, 340.)
兄弟姉妹の皆さん,わたしたちの周りには,家族,友人,知人,他人を問わず,わたしたちの注目,励まし,支え,慰め,親切を必要としている人が大勢います。わたしたちは地上で主の御手に使われる器であり,わたしたちには御父の子供たちに仕え,彼らを高める責務があります。主はわたしたち一人一人を頼りにしておられるのです。
