2コリント9:6 無私の奉仕 | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

2コリント9:6
わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。


「無私の奉仕」2009年4月、ダリン・H・オークス、十二使徒定員会
今の時代,世の中が求めているのは,何もしないで見返りを得ることです。貪欲という昔からの悪は,権利を主張するときに顔をのぞかせます。わたしは息子なので,娘なので,市民なので,犠牲者なので,あるグループの会員なのでこの権利がある,あの権利があると言うのです。当然の権利という考え方は概して利己的です。多くを求めながら,与えることはほとんど,あるいはまったくありません。この考え方にとらわれると,自分をほかの人よりも上に置くことを願うようになります。そして,人が神から何らかの祝福を受けるときは,それが基づく律法に従うことによるという,神聖で公平な報いの標準から自らを引き離してしまいます教義と聖約130:21参照)

貪欲と権利主張の影響は,ある企業の役員に与えられる何百万ドルものボーナスを見ても明らかです。しかし,貪欲と権利主張の例はさらに広い範囲に及びます。これらのために簡単に借金をする人が増え,過度の消費主義が広がり,全世界を脅かしている経済危機につながっているのです。

貪欲と利己心のもう一つの例がギャンブルです。かけ事をする人は,自分では最小限の投資しかせずに,他人から取り上げることで大きな利益を期待します。どのような形で装っていても,何もしないで見返りを得る行為は,福音にある収穫の律法に反します。「人は自分のまいたものを,刈り取ることになる。」ガラテヤ6:72コリント9:6も参照)

この世の価値観は「自分さえよければいい」と教えますが,それは間違っています。この堕落した姿勢は,何の変化も,成長ももたらしません。また,神が御自身の子供たちのための偉大な計画で示された行く末に到達するための永遠の進歩と相いれません。イエス・キリストの福音の計画は,利己的な欲求を超えたところにわたしたちを引き上げてくれます。そして,自分が将来,何になることができるかということが,人生で最も大切であると教えてくれるのです。