使徒行伝24:15
また、正しい者も正しくない者も、やがてよみがえるとの希望を、神を仰いでいだいているものです。この希望は、彼ら自身も持っているのです。
「自分という驚くべき存在」2003年10月、ジェームズ・E・ファウスト、大管長会
亡くなった親族のために救いの儀式を執行するという偉大な業は,教会の使命の持つ3つの側面の中できわめて重要な部分を占めています。この業には,亡くなった先祖を救うという目的かあります。神殿の業はわたしたちと,救いの儀式を待つ亡くなった親族の両方にとって,欠くことのできないものです。「彼らなしにはわたしたちか完全な者とされることはなく,またわたしたちなしには彼らが完全な者とされることはない」からです。(教義と聖約128:18)先祖は救いの儀式を必要としており,わたしたちは先祖との結び固めを必要としています。だからこそ,一人として救いの機会を逸することのないよう系図を探究するのです。
亡くなった親族の探求は,単なる趣味ではありません。すべての教会員の基本的な責任です。わたしたちは人生が死後も続き,すべての人が復活することを信じています。(使徒24:15;アルマ11:41-45参照)神の権能の下に聖なる神殿で交わされる特別な聖約を守るならば,来世でも家族関係が続くことを信じています。また亡くなった先祖も,わたしたちが神殿で彼らに代わって聖約を交わすならば,その家族と永遠に結び固められると信じています。亡くなった先祖も,選択の自由を正しく行使するならば,霊界で聖約を受け入れる機会が与えられるのです。(“Why Family History?”参照)