使徒行伝23:11 喜びをもって生きなさい | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

使徒行伝23:11
その夜、主がパウロに臨んで言われた、「しっかりせよ。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなくてはならない」。


「喜びをもって生きなさい」(英文)1982年10月、二一ル・A・マックスウェル、十二使徒定員会
同じことが別の場合にも言えます。それは投獄されていたパウロに,復活されたイエスが臨まれた夜のことです。イエスはパウロに「しっかりせよ」と言われました。(使徒23:11) この時,パウロはアナニヤの命令により衆人環視の中で口を打たれたばかりでした。40人のユダヤ人が彼を殺そうと陰謀をめぐらし, パウロは扇動行為で裁判にかけられようとしてしていました。また,間もなく難船を経験します。このような時に,どうして元気でいることができるのでしょうか。それは,イエスが言われたように,パウロは悪条件の中にもかかわらず,やがてローマに福音のよきおとずれを伝えることになるからです。

試練や苦難を経験しただけでなく,人の高遠な行く末についても熟知していたヤング大管長は,主が私たちにそうした経験をさせるのは,私たちを神の真の友とするためであると言っています。個々の能力を伸ばし,自由意志を賢明に使い,神を信頼するならば ―たとえ見捨てられて独りになったと感じることがあっても― ヤング大管長が語っているように,私たちは「暗闇の中でも義しく」生きることができます。(Secretary's Journal, 28. Jan.1857) 暗たんたる苦難の中にあっても,私たちの目に入る福音の光は,喜びを得て,光輝く人々から発せられるものです。

人々が絶望する時に喜びをもって生き,人々がつまずく時に信仰を保ち, 見捨てられたと感じる時にも主を信頼するこれらのことはすべて, 私たちを愛するがゆえに与えられる神の思慮深い訓練の結果として深く望まれていることです。(モーサヤ3:19参照) これらの経験を神の冷淡さと誤解してはなりません。こうした訓練は神の計画の一部なのです。