マタイ27:46
そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
「世が与えるようなものとは異なる」2021年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
そうした助けや希望はほんとうに必要です。なぜなら,今日のこの世界規模のオンライン大会の会衆の中には,何らかの問題,すなわち,身体的,情緒的,社会的,経済的,あるいはそのほかの多くの問題を抱えて苦しんでいる人々がいるからです。しかし,これらの問題の多くについて,わたしたちは自分たちで十分に対処できるほど強くはありません。わたしたちに必要な助けや平安は,「世が与える」(ヨハネ14:27)ようなものではないからです。そうではなく,真に難しい問題に関して,わたしたちには聖文が言うところの「天の力」(教義と聖約121:36)が必要であり,この力を利用するためには,聖文の同じ箇所に記されている「義の原則」(教義と聖約121:36)によって生活しなければなりません。この原則と力のつながりを理解することは,人類家族が決して学ぶことができないように思える一つの教訓であると,天地の神は言っておられます。(教義と聖約121:35参照)
では義の原則とは何でしょうか。義の原則は聖典の中に繰り返し列挙され,今回のような大会で何度も何度も教えられています。そしてこの神権時代においては,預言者ジョセフ・スミスが「わが神,わが神,どうしてわたしをお見捨てになったのですか」とジョセフ自身が叫び求めた際のこたえとして(教義と聖約121:1-6参照。マタイ27:46も参照),主から教えられたものです。リバティーの監獄の寒々とした無慈悲な監禁の中で,ジョセフ・スミスは,忍耐,寛容,温厚,偽りのない愛などの徳を含む義の原則について教えを受けました。(教義と聖約121:41-42 参照)これらの原則がなければ,やがて不和と憎しみに直面することは確実です。
