マタイ27:12-14
さて、イエスは総督の前に立たれた。すると総督はイエスに尋ねて言った、「あなたがユダヤ人の王であるか」。イエスは「そのとおりである」と言われた。 しかし、祭司長、長老たちが訴えている間、イエスはひと言もお答えにならなかった。 するとピラトは言った、「あんなにまで次々に、あなたに不利な証言を立てているのが、あなたには聞えないのか」。 しかし、総督が非常に不思議に思ったほどに、イエスは何を言われても、ひと言もお答えにならなかった。
「平和の君に従う者」2023年4月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会
イエスは,この完全と平和のきずなを持つことの意味を,特に殉教に先立つ苦痛に満ちた出来事に直面したときに,完全な模範として示されました。その夜に弟子の一人から裏切られることを御存じでありながら,謙虚に弟子たちの足を洗われたイエスが何を感じておられたか(ヨハネ13:14-18参照)少し考えてください。または,その数時間後,裏切り者であるユダとともに,御自分を捕らえるために来た者たちのうちの一人の耳をイエスが優しく癒されたときの気持ちを考えてください。(ルカ22:50-51;ヨハネ18:10-12参照)あるいは,救い主がピラトの前に立っておられ,祭司長たちや長老たちから不当に告発され,その偽りの嫌疑に対して一言も発せられず,ローマの総督を驚かせたときの気持ちについて考えてください。(マタイ27:12-14参照)
これらの3つの悲劇的な出来事を通じて,救い主は,深い悲しみと重圧を抱えながらも,御自身の模範によりこう教えられました。「愛は寛容であり,愛は情深い。……ねたむことをしない。……高ぶらない,誇らない。不作法をしない,自分の利益を求めない,いらだたない,恨みをいだかない。」(1コリント13:4-5。モロナイ7:45-47も参照)
