ヨハネ14:16,17,26
わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。…しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。
「イエス・キリスト――偉大な癒し主」2005年10月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会
愛弟子ヨハネはこう宣言しました。「見よ,世の罪を取り除く神の小羊。」(ジョセフ・スミス訳ヨハネ1:29) 何という力でしょう。偉大な癒し主以外に,世の罪を取り除くことのできる人はいません。わたしたちは主に計り知れない恩義を受けているのです。
宣教師のグループに話したときの経験をよく覚えています。質問はないか尋ねると,一人の長老が立ち上がりました。長老は目に涙を浮かべながら言いました。「イエスはどうしてあれほど苦しまれなければならなかったのですか。」わたしは賛美歌集を開いて,「わが主よ,わが神」の歌詞を読むように頼みました。彼は読み始めました。
主イエスを遣わせし父
その愛,悟り難し
十字架染めし主の血は
わが罪,洗い清む(『賛美歌』44番「わが主よ、わが神」。詩篇8:3-9;9:1-2;モーサヤ4:5-13も参照)
それから,この長老に「敬い崇め」の歌詞を読んでもらいました。これらの歌詞には特に胸を打つものがあります。なぜなら,尋ねられたまさしくその質問に対して主御自身であればこうお答えになるであろうという言葉が提示されているからです。
敬い崇め 頭を下げて
救われし者 わが業思え
血の汗をもて 十字架の上に
汝らの罪 贖いにけり
思い出せ汝が罪の贖い
カルバリのわが 苦しみの死を(『賛美歌』104番「敬い崇め」。教義と聖約19:16-19;45:3-5も参照)
イエスは,その深い愛のゆえに深い苦悩を味わわれました。主はわたしたちが悔い改め,改心するよう望んでおられます。完全な癒しを与えられるようにするためです。
つらい試しに遭うとき,(「部屋を出る前に」『賛美歌』78番,3節参照) 神への信仰を深め,熱心に働き,周りの人に仕えるべきです。そうするときに主は傷ついた心を癒してくださいます。そして一人一人に平安(ヨハネ14:27参照) と慰め(イザヤ40:1;ヨハネ14:16-17,26参照) を授けてくださるのです。これらの偉大な賜物は,死をもってしても損なわれることはありません。