マタイ24:24 魂の安寧 | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ24:24
にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。


「魂の安寧」(英文)2009年10月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
しかし,わたしはこの末日に起きる破壊の一つに,公衆に対してというよりは個人に対して,全体に向けてというよりは個々に向けて語られていると感じてきたものがあります。それは,教会外よりも恐らく教会内に,より当てはまる警告です。救い主は,終わりの時には「聖約」を受けた者,真の選民でさえも真理の敵に惑わされることがあると警告されました。(マタイ24:24, ジョセフスミス-マタイ1:22参照) これを霊的な破壊の一つと見るならば,末日に関する別の預言にも理解の光が注がれるでしょう。わたしたちの心を,信仰の中心,忠実さや価値観が存在する場所であると想像したうえで,終わりの時に人々の心が失われるであろう(ルカ21:26)  と宣言されたイエスの御言葉ばについて考えてください。

言うまでもなく,勇気を与えてくれるのは,天の御父がこれらの末日の危険,心と魂の悩みをすべて御存じであって,それらに関する勧告と守りをお与えになっているということです。

この点に関していつも意義深く感じるのは,末日の苦難に立ち向かううえで主の力強いかなめ石(教会歴史4:461) の一つであるモルモン書が,希望と恐怖,光と闇,救いと滅亡など,人生についての偉大なたとえで始まっているということです。このたとえについては,今朝,アン・M・ディブ姉妹が心に残る話をしてくれました。

リーハイの夢で暗黒の霧が起こり,リーハイの家族やほかの人々が進むべき,安全ながら狭い道がまったく見えなくなると,それまでも大変だった道のりがさらに厳しい旅となりました。ここで見落としてはならないのは,この暗黒の霧がすべての旅人,つまり,必ずしも強くない人や真実の原則という土台に立っていない人だけでなく,忠実で,固い決意を持った人(選民と呼んでもいいでしょう)にも降りかかったという点です。この物語で大切なのは,立派に旅を終えた人が,禁じられた道への誘惑や,その道に迷い込み虚栄と自尊心に凝り固まってしまった人々からのあざけりなど,道からそらそうとするあらゆるものに抵抗したということです。記録によると,守られた人々は,真理の道に沿ってどこまでも延びる鉄の棒に「しっかり〔わたしなりの言い方では,粘り強く〕……つかまりながら道を押し進」んでいました。(1ニーファイ8:30) どれほど暗い夜も,あるいは昼も,鉄の棒は贖いに通じる唯一の道を示しています。

後にニーファイはこう言いました。「鉄の棒〔は〕……命の木に導く神の言葉であ〔り〕……神の愛の表れであることを知った。」神の愛の表れを見たニーファイはさらにこう言いました。

「それで眺めると,……世の贖い主が見え,……出て行き,……人々を教え導かれるのが見えた。……

……病気の人々や,様々な患いに苦しんでいる人々,悪霊や汚れた霊につかれて苦しんでいる人々の群れが見えた。……これらの人々は神の小羊の力によって癒され,また悪霊や汚れた霊は追い出された。」(1ニーファイ11:25, 27–28, 31)

愛,癒し,助け,希望,時の終わりを含むあらゆる時代のすべての問題を解決するキリストの力。これが,絶望する個人または社会が身を寄せるよう神が望まれる安全な港です。これが,モルモン書が一貫して伝えている,「キリストのもとに来て,キリストによって完全になりなさい」(モロナイ10:32)  とすべての人に呼びかけるメッセージです。リーハイの示現から1,000年後に記されたモロナイの最後の証から引いたこの言葉は,唯一の真実の道についての,死を目前にした人の証なのです。