ルカ13:14
ところが会堂司は、イエスが安息日に病気をいやされたことを憤り、群衆にむかって言った、「働くべき日は六日ある。その間に、なおしてもらいにきなさい。安息日にはいけない」。
「主イエス・キリストの弟子となる」2017年4月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会
多くの人は弟子と聞くと,単に「従う者」という意味だと考えます。しかし,真の弟子が意味するのは,そのような人物に「なる」ということです。つまり,個人の特質の一覧表を研究して実践する以上のことなのです。主の弟子は,自らの人格にキリストの特質を織り込み,霊のタペストリーを作るように生活します。
救い主の弟子となるように招く,使徒ペテロの言葉に耳を傾けてください。
「あなたがたは,力の限りをつくして,あなたがたの信仰に徳を加え,徳に知識を,
知識に節制を,節制に忍耐を,忍耐に信心を,
信心に兄弟愛を,兄弟愛に愛を加えなさい。」(2ペテロ1:5-7)
この聖句から分かるように,主の弟子として自分の霊のタペストリーを織るのに必要な糸は,1本だけではありません。救い主の時代,自らが生活のある面において義にかなっていることを主張する人が大勢いました。彼らは,わたしがえり好みの従順と呼ぶものを行っていたのです。例えば,安息日には働かないようにとの戒めは守りましたが,その聖日に病人を癒された救い主を非難しました。(ルカ13:14参照) 貧しい人に施しましたが,自分の必要としない余ったものだけを差し出しました。(ルカ21:4参照) 断食しましたが,その表情は陰気でした。(マタイ6:16参照) 祈りましたが,ただ人に見せようとして行いました。(マタイ6:5,アルマ38:13も参照) 「彼らは唇をもってわたしに近づくが,その心はわたしから遠く離れている」と,イエスは述べておられます。(ジョセフ・スミス—歴史1:19,イザヤ29:13,ルカ6:46も参照) そのような男女は,特定の特質や振る舞いを身につけることに心を注ぐかもしれませんが,その内面は必ずしも,主に似た者とはならないのです。
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救い主の数々の特質を,倣うべき台本,もしくはなすべきことを列挙したチェックリストのように捉えるべきではありません。それは,様々な特性が織り込まれ,重なり合い,影響し合いながら,わたしたちの内面に育まれていくものなのです。つまり,キリストのような特質の一つを身につけるには,ほかの特質も身につけ,影響をもたらすことが欠かせません。一つの特質が強まれば,ほかの多くの特質も強まります。
