マタイ18:11 わたしたちの良い羊飼い | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ18:11
人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。


「わたしたちの良い羊飼い」2017年4月、デール・G・レンランド、十二使徒定員会
聖文の至る所で,神は罪に対する比喩として病を用いておられるので,「わたしたちの比喩的な病,すなわち罪に直面するとき,イエス・キリストはどのような反応を示されるだろうか」と問うのはもっともなことです。結局のところ,救い主は「ほんのわずかでも罪を見過ごしにすることはない」(教義と聖約1:31) と語っておられます。そうであるなら,救い主はどのようにして,嫌悪を抱き,愛想を尽かして見捨てることもなく,不完全なわたしたちを御覧になっているのでしょうか。

その答えは簡潔かつ明瞭です。良い羊飼いとして,(ヨハネ10:11,14アルマ5:38教義と聖約50:44 参照) イエス・キリストは御自分の羊の病を,治療や世話,思いやりが必要な状態と見ておられます。わたしたちの良い羊飼いであられるこの御方は,病にかかった御自分の羊が癒しに向かって進み行くのを見ることに,喜びを見いだされるのです。

救い主は「牧者のようにその群れを養い」,(イザヤ40:11) 「うせ〔ている〕ものを〔探し出し〕,迷い出〔ている〕ものを引き返し,傷つい〔ている〕ものを包み,弱っ〔ている〕ものを強く〔する〕」(エゼキエル34:16) と預言しておられます。背教したイスラエルは,罪深い「傷と打ち傷と生傷」(イザヤ1:6) によって弱り果てていると表現されていますが,救い主は彼らを励まし,熱心に勧め,癒しを約束されたのです。(イザヤ1:18参照)

現世での救い主の教導の業において際立っていたのは,実にその愛と思いやり,共感です。主はガリラヤやユダヤのほこりにまみれた道を,人々を蔑みながら歩かれたことはなく,罪人を御覧になってもたじろがれませんでした。絶望的な嫌悪感から人々を避けるどころか,主は彼らとともに食事をされました。(ルカ15:1-2参照) 主は助けの手を伸べ,祝福し,高めて教化し,そして恐れと絶望を,希望と喜びへと変えられたのです。ほんとうの羊飼いのように,主はわたしたちを探し,見いだし,安らぎと希望を与えてくださいます。(マタイ18:11参照) 主の思いやりと愛を理解するなら,わたしたちは悔い改め,癒しを受けるために,主に対する信仰を働かせることができるようになります。