マタイ16:13 主の望まれる者となるというチャレンジ | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ16:13
イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。


「主の望まれる者となるというチャレンジ」2000年10月、ダリン・H・オークス、十二使徒定員会
わたしたちは改心という過程を経て永遠の命にあずかる資格を得ます。改心という言葉は多くの意味を持っていますが、ここでは、単に確信することではなく、性質を根本から変えることを意味します。イエスはこの意味を用いて、証と改心の違いを使徒の長に教えられました。イエスは弟子たちに尋ねて言われました。「人々は人の子をだれと言っているか。」(マタイ16:13) 続いて、こう尋ねられました。「『それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか。』

シモン・ペテロが答えて言った、『あなたこそ、生ける神の子キリストです。』すると、イエスは彼にむかって言われた、『バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。』」(マタイ16:15-17)

ペテロは証を持っていました。イエスがキリストであり、約束されたメシヤであられることを知っていたペテロはそれを宣言しました。証をするとは、知ること、そして宣言することです。

後にイエスは弟子たちに改心について教えられました。それは証をはるかに超えた重要なものです。天国でいちばん偉いのはだれかと尋ねた弟子たちに対して、「イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、

『よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。

この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。』」(マタイ18:2-4)

後に救い主は、真理の証を持っている者にとっても、改心することが大切であると確認しておられます。最後の晩餐の席で与えられた崇高な教えの中で、主はシモン・ペテロに言われました。「しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったとき(訳注「あなたが立ち直ったとき」は、英文では「あなたが改心したとき」を意味するwhen thou art convertedとなっている)には、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:32)

3年間イエスに従い、聖なる使徒職の権能を与えられ、キリストの福音を雄々しく教え、証し、主から幸いであると言われるほどの証を持っていたこの人でさえ兄弟を力づける、すなわち神の羊の群れを導くためには「改心」しなけなければなりませんでした。

このチャレンジから、イエスは天国に入りたいと願う(マタイ18:3参照)人々に、単に福音が真実であると証することとは別の次元の改心を求めておられたことが分かります。証するとは、知ること、そして宣言することです。福音はわたしたちに「改心する」ようチャレンジしています。改心するとは行うことであり、なることなのです。福音の知識と証のみに頼っている人は、幸いではあっても完成の状態にまで達していなかった使徒たちと同じ状態にいることになります。彼らは、イエスの「改心する」ようにとのチャレンジ強い証を受けました。強い証を持ってはいても、その証に基づいて行動しないため改心に至っていない人がいることをわたしたちは皆しっています。例えば、帰還宣教師の皆さん、あなたは今も改心することを求めているでしょうか。それともこの世的な風潮に流れてしまっているでしょうか。

福音が求めている改心は、聖文の表現によれば「再び生まれる」(例えばモーサヤ27:25;アルマ5:49;ヨハネ3:7;1ペテロ1:23)という経験から始まります。バプテスマの水に沈められ、聖霊の賜物を受けることによって、わたしたちは「神の王国を受け継ぐ」ことのできるイエス・キリストの霊の「息子や娘」となり、「新たな者」となります(モーサヤ27:25-26)