ヨハネ6:5-6
イエスは目をあげ、大ぜいの群衆が自分の方に集まって来るのを見て、ピリポに言われた、「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」。 これはピリポをためそうとして言われたのであって、ご自分ではしようとすることを、よくご承知であった。
「5つのパンと2匹の魚」(英文)1994年4月、ジエームズ・E・ファウスト、十二使徒定員会
きょう私は, 5つのパンと2匹の魚に相当する才能を救い主に捧げて、おおぜいの人々を養おうとしている人々についてお話ししたいと思います。
「イエスは目をあげ,大ぜいの群衆が自分の方に集まって来るのを見て,ピリポに言われた,『どこからパンを買ってきて,この人々に食べさせようか。』
これはピリポをためそうとして言われたのであって,ご自分ではしようとすることを,よくご承知であった。」(ヨハネ6: 5 -6)
ピリポはすぐに,群衆に食べさせるだけのパンを買うお金はないと答えました。するとペテロの兄弟アンデレがこう言いました。「ここに,大麦のパン五つと,さかな二ひきとを持っている子供がいます。」(9節)
「それから,イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り,天を仰いでそれを祝福し,パンをさき,弟子たちにわたして配らせ,また,二ひきの魚もみんなにお分けになった。
みんなの者は食べて満腹した。
そこで,パンくずや魚の残りを集めると,十二のかごにいっぱいになった。パンを食べた者は男五千人であった。」(マルコ6:41-44)
……
私たちは,パンと魚を持っていた新約聖書のあの子供と同じように,自分が天父の霊の子供であり,イエスが世の贖い主,救い主,キリストであることを知り,心に留めていなければなりません。
……
多くの無名の人が, 5つのパンと2匹の魚に等しい賜を用いて,全力を尽くして召しを遂行し,注目や称賛を受けずに,文字どおり数千人の人を養っています。……全力を尽くして働き,常に学んで,主やワード部の人に仕えたいという謙遜な願いを持っています。
主と交わる人はだれでも,陶器師の手にある粘土のようです。名声や富よりも大切なのは,神が望まれる人になることです。この地上に来る前,私たちは人生で自分にしかできない善いことを行なうために備えられました。主はエレミヤにこう告げられました。「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに,あなたを知り,あなたがまだ生れないさきに,あなたを聖別し,あなたを立てて万国の預言者とした。」(エレミヤ1: 5) 神が多くのオ能を持つ人のためにみ業を用意されるなら,わずかな才能しかない人にも大切なみ業が用意されていると思います。
5つのパンと2匹の魚しか持たない人の中心となる特質は何でしょうか。どうしたら,主のみ手の中で,仕え,助け,祝福し,数百,数千の人々の生活に恵みをもたらせるでしょうか。私は生涯にわたって人々の問題を扱ってきて,利己心と高漫な心を克服する能力が大切だと感じています。このふたつは,神のみたまを完全に受け,神のみ前に謙遜に歩むのを妨げるものです。利己心は,夫婦が互いに赦しを求め合うときの障害となり,より深い愛の全き喜びを妨げます。利己心はしばしば,親子が互いに理解し合うのをじゃまします。うぬぽれや尊大な心を大きくし,現実を見えなくします。また高慢があると,罪や弱点を告白して主のみもとへ行き,悔い改めることができなくなります。
