それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい、『わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトびとの労役の下から導き出し、奴隷の務から救い、また伸べた腕と大いなるさばきをもって、あなたがたをあがなうであろう。
「主はかしこに在す」(英文)1987年10月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会
イエスが約束してくださった平安は、不安な状態の中で得られる特別な平安です。激動の中にあっても、主の弟子たちは確固として立つことができるのです(教義と聖約45:26,32参照)。弟子たちは、末日にあっても主が「かしこに在す」ことを知っています。「わたしはエジプトの地からイスラエルの子らを導き出した者である。わたしの民イスラエルを救うために、わたしの腕は終わりの時に伸べられている。」(教義と聖約136:22)
私たちは自分の思い煩いをいっさい神にゆだねることができます。それは、ゲッセマネとカルバリの苦痛に満ちた出来事を通して、贖い主イエスは私たちの罪や病気、悲しみをすでによく理解されたからです(1ペテロ5:7;2ニーファイ9:21;アルマ7:11-12参照)。主は今、私たちの罪の重荷を担うことができます。それは、ゲッセマネとカルバリですでに担ったことのある重荷なのですから。
そうです。神の創造の業は万物に及びます。そして、主の贖いのために「伸べた腕」も万物に及ぶのです(出エジプト6:6;詩篇136:12参照)。


