「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ32:13-14

さて、やむを得ずへりくだっているので、あなたがたは幸いである。人は時々、やむを得ずへりくだっていても悔い改めようとするからである。そして、悔い改める人はだれでも、必ず憐れみを受ける。そして、憐れみを受けて最後まで堪え忍ぶ人は救われる。

わたしは、あなたがたがやむを得ずへりくだっているので幸いであると言ったが、御言葉のために自ら進んで心からへりくだる人々は、なおさら幸いであると思わないか。

 

「放蕩の果てに—家へと続く道」2023年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、十二使徒定員会

(編者付記:ルカ書15章にある「放蕩息子」の話を話者はしています。放蕩息子の話とは、財産を浪費して苦境に陥るが、悔い改めて父のもとに帰る。父は息子を喜んで迎え、宴を開いて祝うというものです。)

 

彼を悩ませたのは,空腹だけではありませんでした。霊的に飢えていたのです。この世的な欲望に身を任せることで幸せを得られると確信していた彼にとって,道徳に関する律法は,その幸福を妨げるものでした。でもよく分かりました。そのことを知るために,何という代価を払わなければならなかったことでしょう。アルマ32:13-14参照)

 

肉体的にも霊的にも飢えが激しさを増すにつれ,彼は父親のことを思い出すようになります。こんなことをしてきたのに,助けてくれるでしょうか。父親の僕たちの最も身分が低い者でさえ,食べるものがあり,嵐から身を守る場所があります。

 

……

 

それでも,飢えや孤独,自責の念は消えることなく,ついに「彼は本心に立ちかえ〔り〕」ルカ15:17ました。

……

あなたの人生でこれまでに何が起こってきたとしても,わたしは愛する友人であり同僚である使徒のジェフリー・R・ホランド長老の次の言葉を繰り返し,宣言します。「キリストの贖い〔の犠牲〕の無限の光が届かない深みなどあり得ないのです。」(ジェフリー・R・ホランド「ぶどう園の労働者たち」2012年4月)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ32:6-8

アルマはこれを聞くと、振り返って彼の方に面と向かい、非常に喜びながらじっと彼を見詰めた。彼らが多くの苦しみを受けて心がへりくだっており、御言葉を聞く用意のできていることが、アルマに分かったからである。

そこでアルマは、もうほかの群衆にそれ以上語るのをやめ、しかし、目の前にいる、心から悔い改めている彼らに向かって手を伸ばして大声で言った。

「わたしの見るところ、今あなたがたの心はへりくだっている。もしそうならば、あなたがたは幸いである。

 

「逆境」2009年4月、ヘンリー・B・アイリング、大管長会

先日わたしは,昨今の経済危機の影響で失業した若い父親と話しました。彼は,自分と同じ技能を持つ何百何千という人も,家族を養うために必死で仕事を探していることを知っていました。穏やかさの中にも自信に満ちた彼に,家族を養う道が見つかるという確信をどのように得たのか尋ねてみました。その父親は,主の助けを受けるにふさわしくなれるよう自分が最善を尽くしてきたかどうか,生活を吟味したと答えました。この試練と,キリストを信じる信仰のために,彼が困難な状況でも神の戒めに従順になっているのは明らかでした。夫婦でアルマ書を開き,逆境を通して福音を見いだすよう主が民を備えられた箇所を読んでいるとき,最善を尽くして主の助けを受けられるようになろうと思ったそうです。

 

皆さんは,苦しむ人々を率いていた男性にアルマが語った場面を覚えていることでしょう。その人は,彼らが貧乏であるために迫害され,拒絶されていると話しました。記録にはこうあります。

 

「アルマはこれを聞くと,振り返って彼の方に面と向かい,非常に喜びながらじっと彼を見詰めた。彼らが多くの苦しみを受けて心がへりくだっており,御言葉を聞く用意のできていることが,アルマに分かったからである。

 

そこで,アルマは,もうほかの群衆にそれ以上語るのをやめ,しかし,目の前にいる,心から悔い改めている彼らに向かって手を伸ばして大声で言った。

 

『わたしの見るところ,今あなたがたの心はへりくだっている。もしそうならば,あなたがたは幸いである。』」アルマ32:6-8

 

続いて聖文には,豊かだったときに逆境に備えていた人々への称賛が載っています。皆さんの多くも,危機が来る前に,将来必要となる助けを受けるにふさわしくなろうと努力する信仰を持っていました。

 

アルマは続けてこう話しました。「まことに,自ら進んで心からへりくだり,罪を悔い改め,最後まで堪え忍ぶ人は祝福を受ける。まことにこのような人は,非常に貧しいためにやむを得ずへりくだっている人々よりも,なおさら祝福を受ける。」アルマ32:15

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ32:2-3

そして、人々の中で多くの労苦を重ねた末、彼らは貧しい階層の人々の中で成功を収め始めた。見よ、これらの人々は、衣服が粗末であるために会堂から追い出されていたからである。

これらの人々は衣服が粗末なため汚れた者と見なされ、会堂に入って神を礼拝することを許されていなかった。彼らは貧しく、同胞からかすのように見なされていたので、この世のものに関して貧しく、心が謙遜であった。

 

「わたしたちは皆,物乞いではないだろうか」2014年10月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会

貧しい人のために憐れみ深い行いをするだけでなく,彼らのために祈る必要もあります。ゾーラム人の中で同胞から,聖文からの言葉で言えば「汚れ」や「かす」のように見なされていた人々は,「衣服が粗末であるために」会堂から追い出されていました。モルモンは彼らを「この世のものに関して貧しく,心が謙遜であった」と述べています。アルマ32:2-3この二つはたいてい共存します。宣教師の同僚であるアルマとアミュレクは,粗末な衣服のために拒絶された人たちに,たとえどのような特権を奪われようと,畑でも,家でも,家族といるときも,心の中でも,いつも祈ることができると教えました。アルマ34:17-27参照)

 

しかし,それからアミュレクは,まさに同胞から追い払われていた人々に言いました。「これらのことを〔祈っても〕,〔あなたがたが〕乏しい人や着る物のない人を追い払ったり,病気の人や苦しんでいる人を見舞わなかったり,自分には持ち物がありながら ,それを必要としている人々に分け与えなかったりするならば,あなたがたに言うが……あなたがたの祈りはむなしく,何の役にも立たない。あなたがたは信仰を否定する偽善者と同じである。」アルマ34:28これは,貧富の別なく,乏しい人に対して「できる限りのこと」をする必要があることを思い出させるすばらしい教えです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)