「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

サムエル上9:2

キシにはサウルという名の子があった。若くて麗しく、イスラエルの人々のうちに彼よりも麗しい人はなく、民のだれよりも肩から上、背が高かった。

 

「わずかな誤差」2008年4月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会

イスラエルの王サウルの物語はその良い例です。サウルの人生は偉大な約束とともに始まりましたが,結末は不幸で悲劇的でした。聖典には初め,サウルは「若くて麗しく,イスラエルの人々のうちに彼よりも麗しい人はな〔かった〕」と記されています。サムエル上9:2サウルは神から直接選ばれて王となりました。サムエル上9:17参照)多くの長所を兼ね備えていました。体つきも見事で,名のある家柄の出身でした。サムエル上9:1参照)

 

もちろんサウルにも弱点はありましたが,主はサウルを祝福し,支え,栄えさせると約束されました。聖典には,神は常にサウルと一緒におられ,サムエル上10:7参照)サウルに別の心を与え,(サムエル上10:9参照)サウルを新しい人に変えると約束されたと書かれています。サムエル上10:6参照)

 

主の助けがある間,サウルは卓越した王でした。イスラエルを統一し,イスラエルを侵略していたアンモン人びとを打ち負かしました。サムエル上11:11参照)その後すぐ,サウルはさらに大きな敵に直面します。ペリシテ人びとです。ペリシテ人びとには戦車と騎兵から成る恐ろしい軍隊がありました。さらに「民は浜べの砂のように」多くいました。サムエル上13:5イスラエル人びとはペリシテ人びとを非常に恐れ,「ほら穴に,縦穴に,岩に……身を隠し」ました。サムエル上13:6

 

若い王には助けが必要でした。預言者サムエルは,自分がサウルのもとに行って燔はん祭さいをささげ,主に助言を求めるまで待つようサウルに伝言しました。サウルは7日間待ちましたが,サムエルは到着しません。しびれを切らしたサウルは民を集め,神権の権能を授かっていないにもかかわらず,自分で燔祭をささげてしまいました。

 

サムエルは到着すると,心底落胆してこう言いました。「あなたは愚かなことをした。」新しい王サウルがもう少し忍耐し,主の道を離れず,啓示された神権の秩序に従ってさえいたら,主はサウルの王国を永遠に確立されたことでしょう。サムエルはこう言いました。「しかし今は,あなたの王国は続かないであろう。」サムエル上13:13-14

 

その日,預言者サムエルはサウルの性格に重大な弱点があることをはっきりと知ったのです。外部の影響から圧力を受けたサウルには,道にとどまり,神と神の預言者を信頼し,神が確立された規範に従うだけの自制心がなかったのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

サムエル上8:19-20

ところが民はサムエルの声に聞き従うことを拒んで言った、「いいえ、われわれを治める王がなければならない。

われわれも他の国々のようになり、王がわれわれをさばき、われわれを率いて、われわれの戦いにたたかうのである」。

 

「自由という完全な律法」(英文)1991年10月、マリオン・G・ロムニー、大管長会

このようなことは、イスラエルの歴史の中で繰り返し起こっています。イスラエルの民は、神の定められたさばきづかさによる統治を拒み、王を与えよとサムエルに訴えました。サムエルは、国王を立てれば、イスラエルの子孫は捕虜となり、重税と夫役を負わされ、戦いに送り出されるだろうと警告しました。「ところが民はサムエルの声に聞き従うことを拒んで言った、『いいえ、われわれを治める王がなければならない。われわれも他の国々のようになり……』」サムエル上8:19-20

 

そこでサムエルはサウルの頭に油を注いで王にしました。そのうちに、サムエルが預言したように、イスラエルの民は重い負担に苦しみ、息子や娘は王の奴隷となり、戦争が始まりました。国はイスラエルとユダの二つの王国に分裂し、やがて両国の民はそれぞれ他国の捕虜になって連れ去られました。彼らは政治的な自由を失うどころか、国家として存続することすらもできなくなってしまったのです。

 

......

 

自由意志を誤って用いれば、政治的、経済的、個人的な自由が失われますが、自由意志それ自体は永遠の原則ですから、なくなることはありません。しかし、自由意志はその使い方によって、適用できる範囲が広がったり狭まったりします。間違った決心をすればその度に、自由意志を使える範囲は狭まります。しかも、そのような自由意志の使い方をすればするほど、失った自由を取り戻すのが難しくなるのです。そして、あるところまでくると、もはや元の状態には戻れなくなり、惨めな奴隷となるだけです。自由意志を使うことによって、次第に自分の行動範囲が狭まり、ついには自由意志のない身動きできない状態に追い込まれてしまうのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

サムエル上8:4-7

この時、イスラエルの長老たちはみな集まってラマにおるサムエルのもとにきて、

言った、「あなたは年老い、あなたの子たちはあなたの道を歩まない。今ほかの国々のように、われわれをさばく王を、われわれのために立ててください」。

しかし彼らが、「われわれをさばく王を、われわれに与えよ」と言うのを聞いて、サムエルは喜ばなかった。そしてサムエルが主に祈ると、

主はサムエルに言われた、「民が、すべてあなたに言う所の声に聞き従いなさい。彼らが捨てるのはあなたではなく、わたしを捨てて、彼らの上にわたしが王であることを認めないのである。

 

「不変の原則」(英文)1993年10月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会

道徳的律法

 

神より与えられた道徳的律法も、不変の原則の一つです。この律法に背けば罰を受け、従順であれば「不変不易」の祝福を授けられます教義と聖約104:2。祝福は常に律法への従順さに応じて与えられます義と聖約130:20-21参照)。そのために教会は、私たちが喜びを得られるよう、正義を行い、悪を退けるように教えるのです2ニーファイ2:25参照)

 

救い主とその僕は教義と聖約1:38参照)、独善的な言葉ではなく、人が知る必要のあることを教えてくださいます。さまざまな時代を通じて、その時代時代の批判的な人たちが教会の指導者に主の教えを修正するよう圧力をかけてきたのは歴史的事実です(例として,サムエル上8:4-7マタイ7:21ルカ6:463ニーファイ14:21参照)。しかし、それは永遠の律法であり、変えられるものではありません。神は愛する独り子のためにさえ、贖いを必要とする律法を変えようとはされませんでした。神の教義は、時代の流行に合わせた都合のよい小さな型に押し込められるものではありません。また、自動車のバンパーステッカーにわずかな言葉ですべてを表現できるようなものでもありません。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)