長いトンネル
宮下 純です。
『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった』
そんな一文で始まる小説がノーベル賞を取ってからもう44年が経っているらしい。
そんな一文が書かれたのは77年も前のことらしい。。。
高校時代だったかの先生が言っていた。
「ノーベル賞の選考委員はこの文章の素晴らしさが分かっていたのかね」
はて、どうだろう。
一応、「日本人の心情の本質を描いた、非常に繊細な表現による彼の叙述の卓越さに対して」(wiki抜粋)
と言っているけれど、実際どうなのよっていうのが、最近までの私の考えだった。
だけど、近頃古い映画を見ていて思う。
私はその映画の時代のことを知らない。
私はその映画の人たちが話している言葉を知らない。
だけど、分かる気がする。
映画は表情や音楽があるからだ、と言うかも知れない。
だけど、表情や音楽だって、これだ、と決められた感情の分類があるわけでもない。
苦しいときに笑う人もいるし、哀しいときに明るい音楽が流れるときだってある。
きっと、いいものは、例え分からない言語でも、同じ表現が見つからなくても、きっと伝わるのだろうと思う。
いい作品というモノは、時代も、国も超えて伝わるのだろうと思うのだ。
そう……いいモノならば……
そう……
いいモノならば……
うん……
そう……
頑張るよ……。
上から下からもぅ大変だわ
どうも。
どうもどうも。
福田繁です。
ワタクシ、
3日ほど上下の穴にわたり
りぃげぇとろぉげぇに苦しみました。
駅のトイレはトイレ掃除のおばちゃんには悪いけど
正直きちゃない。
普段そんな所にうずくまるなんてやりたくない。
ところが人間は窮地に追い込まれると
下半身ポロリでも
うずくまれるモンですな。
汚いところにうずくまれないというワシのちっちゃな価値観はその瞬間
りぃげぇとろぉげぇと一緒に吐き出された。
明けましておめでとう。
さて、価値観というモノに悩まされているワタクシ。
価値観という
三文字の好敵手(ライバル)。
ワシの価値観と
役の人間の価値観。
こいつに打ち勝ち、
強敵(とも)になることが
今の自分に必要不可欠。
コイツが理解できりゃぁ
ちったぁ面白い芝居の
糸口がつかめるんぢゃぁねぇかと。
95パーセントの誰でもやる芝居と
5パーセントの
オリジナルの魅力ある芝居。
自分は両方やりたい。
あ。
あと10パーセントくらいは柔軟性のある芝居。
あ。
あと10パーセントくらいはせっかく自分がやるんだから
いい意味で
自分を練り込みたいわな。
あ。
120パーセントになってもうたヽ(´ー`)ノ
まぁいっか。
100パーセントぢゃなきゃいけないわけぢゃねぃし。
ってなわけで
欲張りな自分のケツたたいて(下痢にならないくらいに)
ばっこんで意味のある
即興を全力でまっとうしたいと思っておりやす。
ご期待くださいませ!
では!
即興芝居の醍醐味
望月智弥です。
今日は気持ちの作り込みということで即興芝居をやった。
が、まったくわけわからず。
即興を楽しさって、やっぱり、台本とは違って筋書きがないからその先の話が自分達の感覚で進めていけるということだと思う。
だから、実をいうとおれは結構即興ってすきだったりする。
おれの安易な考えだと、要するになにやってもいいってことだよな。
って、勝手に解釈してる。
それが今日は仇となった気がした。
その場の流れにただただのってみたけど、引き出しは少ないし、話に発展がないし、集中力は続かないし、まじ最悪だった。
ポジティブにとらえるなら己の無力さを改めて痛感したというところか。
最近はたくさんひとと話そうと思って、バイトで頭下げてホールに出してもらって客と話しまくってるのにまだたりないな。
今日からまた最近のおれの愛読書『小学館国語辞典』を読みまくるしかないな。
今日は気持ちの作り込みということで即興芝居をやった。
が、まったくわけわからず。
即興を楽しさって、やっぱり、台本とは違って筋書きがないからその先の話が自分達の感覚で進めていけるということだと思う。
だから、実をいうとおれは結構即興ってすきだったりする。
おれの安易な考えだと、要するになにやってもいいってことだよな。
って、勝手に解釈してる。
それが今日は仇となった気がした。
その場の流れにただただのってみたけど、引き出しは少ないし、話に発展がないし、集中力は続かないし、まじ最悪だった。
ポジティブにとらえるなら己の無力さを改めて痛感したというところか。
最近はたくさんひとと話そうと思って、バイトで頭下げてホールに出してもらって客と話しまくってるのにまだたりないな。
今日からまた最近のおれの愛読書『小学館国語辞典』を読みまくるしかないな。
