今日は休校中の宿題を完全に終わらせるべく、
の自宅授業でした。
先週でほぼ終わっていて、
残るは図工と道徳。
図工は粘土なので、じっくりおちついて
やりたいね、ということで残してありますが
道徳は私も娘も苦痛なので
どうしても最後に。
期限ギリギリなら
とにかく解答欄に文字を入れよう!
みたいな気分で終わらせられるから。
私はたとえ学校の宿題で不備があろうが
不満があろうが、習う内容には妥協したくなく
ちゃんと身に付けさせてあげたいし、
ちゃんと宿題も真面目に書き込みさせます。
しかし、道徳だけは…、という気持ちです。
もし定型発達者なら、
道徳を受けて
その内容に賛同できなくても
「理想論だ」
「道徳は道徳、私は私。」
と切り分けられるのかもしれません。
でも、発達障害当事者の娘としては
道徳の内容では
「自分は常に否定され、
ダメな存在である」
と言われてる、
という感じがあるため、
道徳が嫌で嫌でしょうがないみたいです。
小1のときから、
一番嫌いな科目は、常に「道徳」でした。
道徳がある日は
タメ息ついて家を出ていってましたから。
算数で難しい、
授業で意味がわからないことがあったり、
国語の漢字を覚えるのは苦労してますが、
それは
「大変」なだけで
「解けるようになったらうれしい」
「努力する理由がある」
とは本人は思っていて
嫌々ながらも、勉強そのものはやります。
しかし、道徳はキツいみたいです。
努力さえしたくない!
小1・2のときも算数や国語については
授業という形ではないものの
道徳はさすがに、自宅で教えることはしませんでした。
ただ、小1の授業参観で道徳の授業が
あったときがありましたが、
そのとき、内容にぎょっとしたことは
ありました。
そのときの内容なのですが
「お母さんに、自分がお腹にいたとき、生まれたときのことを聞こう!」
という内容で、
「お母さんに感謝しましょう」という
結論の話でした。
娘自身は、
私に自分が生まれたときの話を聞いて、
喜んでいましたし、
母親と自分、という話だったから
気にならなかったみたいです。
でも、私はそのとき、
母親と不仲である、
母親に虐待を受けている、
母親が自分や弟、妹を
出産したときに亡くなっていたり
母親が事故死や病死、自殺、殺されていて
この世にいない、
母親が犯罪を犯して刑務所に入っている、
など、母親に対して「感謝」だけではすまされないご家庭の子だっているし、
養子の子だっています。
そういう子たちは常に世間の
「フツーは!」
と闘って生きています。
学校では
生徒としか見られない。
お母さんと仲良しの子、
お母さんと不仲の子、
お母さんと死別した子……
などなど、すべての子が学校の中では
「生徒」として平等なのです。
それを「道徳」の名のもと
不平等に常にさらされるのです。
今回、小3の娘が道徳で出された宿題は
道徳の教科書を読んで、
設問に従って自分の考えを書くもの。
そのときの教科書の内容が3つありました。
1つ目は
「あいさつするのは大切ですが、あいさつする相手によって、かける言葉をかけましょう」でした。
そしてそのかける言葉は、
「相手を心配するような言葉(大丈夫ですか?など)」というもの。
これは、つまり
「空気を読める子」を称賛しているのです。
「空気を読める」のも特技の一つなので
「空気を読める子」を誉めるのはかまいません。
問題だったのは、みんなにがんばってあいさつする子より「空気を読める子」のほうが
偉い、という書き方に感じられたから。、
道徳は「こういう子になりましょう!」という型ハメ教育に感じるため、不信感を持ちます。
そして娘は「空気を読めない」ことで
色々と人間関係で苦しんでいます。
なので、娘は道徳の世界では
そこで描かれる
「ダメな子」のほうになってしまうので
読んでて辛いのでしょう。
次の内容は
「ゲーム依存によって生活リズムが乱れたり、友達多人数で外で走り回らないことを
いけないとした話」
でした。
もうこの内容は、娘の逆鱗にふれました。
娘の大好きな「ゲーム」を悪者として
描いてますからね。
また、内容を読むと
この子がゲームに依存するのは
親が子供に無関心なのに
口だけうるさい(はやく寝なさい、と
口頭命令のみ)状態だからじゃない?
と思ってしまった。
だって、子供が布団に入って毎日ゲームを
やっているのさえ気がつかない。
寝落ちをしてゲーム機持ったまま
朝を迎えているシーンがあったので
親は子供が寝たのか?のチェックさえ
してないってことですよね?
この内容は親についてですが
親がしっかり育児をしていても
学校などの外でのトラブルがあれば
ゲームに依存することはあります。
だから、
「ゲーム依存=100%親のせい」とは
私は思いませんが、
この道徳の教科書では
ゲーム依存になるのは
「子供がちゃんと自制して
規則正しい生活をしようとする気がない
自分勝手な性格のせいだ!」
→「周りの子にも気を使えるよう、そして、
自己管理できるよう、子供自身が努力しなさい」
という内容なのです。
娘が
「ゲームやらないと落ち着かないくらい
この子は何か悩みがあるかもしれないのに
なんで、それはガン無視なの?
ゲームが悪者になって、ゲーム好きな私が
悪い子みたいに言われているみたいで
許せない!!」
と憤慨。
自分にとってゲームはとても大切な
存在だから、そのゲームを否定されるのは
冷静に文章を読めないみたいです。
三つ目の内容は
「一人でいる子はかわいそうな子です。
だから、そういう子には積極的に声をかけて
仲間にいれてあげましょう。
そのように声かけをできる子が
良い子です。」
というもの。
もう娘の目は死んだ魚のような目を
していましたね。
娘、「まあ、これは、女児むけアニメや
戦いもののアニメでも、よく見かける内容
だから、慣れたよ。みんな、絆、とか、
みんなで力を合わせて、が好きだからね。」
と何か絶望したような顔をしてました。
そういうアニメは人気があるし、
面白い展開もあるから見たいけど、
毎回、一人でいるのが悪いこと、
かわいそうなこと、と
描かれるのが辛いので、
見たいけど見たくない、との狭間で
苦しんでました。
小2の終わりがけで、
自分が合わないものはたとえ人気でも
自分は見ない!
と決められたため、やっと卒業できた
アニメはいくつかありました。
「一人で行動してもいいんだよ」
「友達はいても、仲間じゃない」
「一人が楽しいと思うのも良いことだ」
とやっと娘は思えるようになったから。
以上が道徳の今回の宿題の内容で
うん、娘だけでなく母もきつかった。
なので、
「はい!これは、コンフィデンスマン(詐欺師)になったつもりで書く練習でーす!
道徳くん、という別の人物になりきって
書くのです。」
として、とにかく書きました。
あー、疲れた。
発達障害者の多くは
空気読めないし、
ゲームなどの
好きなものをやりつづける傾向あるし、
みんなでワイワイでなく一人でいたい
から、道徳は「発達障害者排除命令書」に
感じがしてしまいました。
発達障害者も定型発達者も
どちらもお互い生きやすいように
生きる世界がいいなぁ。
まあ、学校の先生も
本気で道徳を教えて
生徒たちが「他人を大切にして集団行動をトラブルなく行える子に育つ」とは
思ってないと思います。
学校の先生が
教科を決める訳じゃないですからね。
私が小学生のときも道徳はありましたが
道徳の時間に
道徳と称してドッチボールとか
運動会や学芸会の練習とか
やっていた記憶があります。
時々教科書を読んで終わり、とか
テレビを見たりしてたかな?
娘は道徳の宿題をやったあと、
自由時間になったので
「ゲームをやる!私はゲームをやるんだ!」と
言い出して、ゲームをやりました。
おとといから、
スーファミにハマってるので
私と二人で、マリオワールドや
ゴエモンやマリオカート、
スト2を
やったりして楽しみました。
スーファミ時代のゲームって
難しいですね。
switchだと2日くらいでクッパを倒すこと
できるけど
スーパーマリオワールドは
まだクッパ城まで行き着けていません。
またそのあとは
「コナン!名探偵コナンを見たい!」
と娘は言い出しました。
その理由は、
「一人で行動してるコナンくんを見ると
自分もそれでいいや!と思えるから」
だそうです。
コナンくん、
力を合わせることはありますが
基本的に一人で何でもやっちゃいますものね。
「僕は一人じゃない」とか
「みんながいるから、僕はがんばれる」
とか言わないですもん。
私もそういうコナンくんが大好きです。
悩みも基本的に自分の自問自答だし。
ゲームとコナンくんのおかげで
少し落ち着いたみたいですが、
すごく今日は疲れたみたいで
夕御飯食べてからは
ぐったりしてました。
まあ、これでひとまず道徳は
やらなくて良くなるのでひと安心かな?