「育児書にない!&しゃかりき!」〜元塾講師&ASD母子&不登校勉強対策用のブログ -29ページ目

「育児書にない!&しゃかりき!」〜元塾講師&ASD母子&不登校勉強対策用のブログ

ASD当事者で、子供もASDです。元社会科塾講師です。
不登校の娘への授業記録、歴史の勉強で自分たちが勉強しやすいように情報整理した内容、ASDなりに勉強して生き抜いていきたいこと、についても語ります。

2025年春に、塾講師ブログ「しゃかりき!」と合併しました。

来週から本格的に学校が再開されるため
新型コロナ感染が心配ではあるのですが
とにかく前に進まないことには進まないので
がんばります。

先日の授業記録です。

この記録を持って
自宅学習が最後になれば
それにこしたことはないのですが。

新型コロナ、第2波がこないことを
祈っています。



学校から出された宿題のプリントの最後は
娘の大好きな粘土だったので、
とくに問題なく終わりました。

私も粘土は嫌いではないし
やっている間は楽しいんですが
娘ほど熱中できないので

同じ創作好きでも
違いがあるなー、と
感じてます。

私は基本的に2次元(絵)が好きなんですが
娘は工作や粘土、料理などの3次元のほうが
好きみたいです。

昔、マイキャラの
しゅるつるのケーキを作ったこと
あるのですが、そのときの写真。



音楽教室のドリルでもそうですが、
幼稚園のころにやるドリルでも
似た感じで娘は苦手みたいでした。


文字を覚えるなら文字だけ
問題を解くなら解くだけ

にしたいのに、
迷路やクイズ形式になってて
かえって散漫になるんですよね。


小学校に上がる前は
他の同年代の子は
ひらがな、カタカナの読み書きは
ほとんどできていたのですが、
娘はどれだけがんばってもできず。
本人がやりたい、と言うので
市販の未就学児向けの問題集を買って
やらせても、結局頭に入らなくて
癇癪おこして終わりでした。

しかし、小学校に入って、
いかにも学習って感じの
教科書、書写ドリル、漢字ドリル
になってからは、
読み書き、すんなりできたんです。

幼稚園のころのあれはなんだったんだ?
というくらい。


今から思うと、
幼稚園時代に使っていたテキストは

アニメキャラがしゃべったり
遊びながら覚えよう!
みたいな雰囲気でパニクったんでしょうね。

アニメならこのキャラは
こんなこと言わなさそうなのになんで?
アニメにいないキャラがいる?!
なんでなんで?
が先立つんです。

また、「楽しんで覚えないといけない雰囲気」が気持ち悪かったんでしょう。

「楽しむ」というのは
娘にとっては当時は「アニメ」「おえかき」。
しかし、「問題を解く」のは「アニメ」や「おえかき」じゃない。
なのに、アニメのキャラがいる。
でもそのアニメのキャラは自分の知っている
アニメのキャラなのにアニメとは違うキャラに見えてしまう。
そういう感情のオーバーヒートが娘に
パニックをおこさせたのでしょうね。


幼稚園卒業直前に
娘がASDでIQ高めだとわかったので、

それからはそれにそった勉強方法にシフトした
のもよかったのでしょうね。
視覚重視&論理やカテゴライズ中心の理解重視の勉強方法に。
娘には歌って踊って、とか、ゲーム感覚で覚えよう、は無理みたいです。
ゴロあわせで覚えるのは苦手みたいですし。








…ということで、音楽教室のドリルで
点在している情報をまとめて、
ノートにかいて、娘に話ながら
説明しました。


学校も、ですが、音楽教室も再開すると
思うので、またがんばろうっと。
今日は宿題の大詰め。

残すはプリントは図工、
ノートに漢字演習のみ。


どちらも今日で終わるカナー、
と思いきや、
最初にやっていた漢字演習のとき、
どうもお隣の家?のベランダで
大人の男の人が大声で笑っているのが
聞こえました。

それが一時間以上続きました。
窓を閉めてカーテンをしても
かなり響きます。

勉強でなく、テレビゲームをしていたら
「ちょっと、うるさいなぁ」
という程度なのかもしれませんが

漢字を覚えよう、
ノートをしっかり書こうと
集中していないとやれないような内容のときは
かなりキツいと思います。


どうしようもないので

音楽を流しながら
漢字演習をやることに。

ただ、覚えるのは無理だろうなぁ、と
思ったので、とにかく、宿題として
提出するために漢字の書き取りだけ
やることにしました。


結局、お隣の大声は2時間くらい
続きました。
ただ、なんとなく他の方から
クレームが来たのかな?と
いう雰囲気でした。


今までもご近所で
犬の遠吠えや赤ちゃんの泣き声、
子供たちが遊んでいる声は聞こえ

聴覚過敏の私や娘は
ストレスではありましたが

「まあ、しょうがないよね、お互い様だし」

だったのですが、
今日は娘が憤慨してました。


「私も大声出さないよう、気を付けて
がんばってるのに、
なんで、大人の人がそれをやるの!!」
だったんです。

さらに、
「赤ちゃんが泣くのはしょうがない。
怒りがとまらない大声は、わからなくはない。
それはいつか終わりが来るから我慢できる。
でも、楽しんで大声で笑うのって、
いつ終わるか?が予測できないから
自分の我慢をどこまですればいいか
わからなくて不安になって
イライラするの!」
と言ってました


たしかにそのとおり。



未来予測や我慢の時間予測ができないから
よけいにイライラするんですよね。


雨の音や風邪の音は
こわい、なあるけど
イライラではないですからね。
天気予報で我慢の時間予測ができるから。


結局、そのあと、機嫌が悪いわ、
癇癪おこしかけていたので、
久々に心療内科の薬を飲みました。


そして宿題も最低限しかできず…。


これは私たちの問題なので
お隣さんは関係ありませんが

やはり、聴覚過敏の子は
騒音は予想以上にストレスなのかな?
と思います。
今日は休校中の宿題を完全に終わらせるべく、
の自宅授業でした。

先週でほぼ終わっていて、
残るは図工と道徳。

図工は粘土なので、じっくりおちついて
やりたいね、ということで残してありますが
道徳は私も娘も苦痛なので
どうしても最後に。

期限ギリギリなら
とにかく解答欄に文字を入れよう!
みたいな気分で終わらせられるから。



私はたとえ学校の宿題で不備があろうが
不満があろうが、習う内容には妥協したくなく
ちゃんと身に付けさせてあげたいし、
ちゃんと宿題も真面目に書き込みさせます。


しかし、道徳だけは…、という気持ちです。


もし定型発達者なら、
道徳を受けて
その内容に賛同できなくても
「理想論だ」
「道徳は道徳、私は私。」
と切り分けられるのかもしれません。


でも、発達障害当事者の娘としては
道徳の内容では
「自分は常に否定され、
ダメな存在である」
と言われてる、
という感じがあるため、
道徳が嫌で嫌でしょうがないみたいです。


小1のときから、
一番嫌いな科目は、常に「道徳」でした。

道徳がある日は
タメ息ついて家を出ていってましたから。


算数で難しい、
授業で意味がわからないことがあったり、
国語の漢字を覚えるのは苦労してますが、
それは
「大変」なだけで
「解けるようになったらうれしい」
「努力する理由がある」
とは本人は思っていて
嫌々ながらも、勉強そのものはやります。

しかし、道徳はキツいみたいです。

努力さえしたくない!
小1・2のときも算数や国語については
授業という形ではないものの
道徳はさすがに、自宅で教えることはしませんでした。

ただ、小1の授業参観で道徳の授業が
あったときがありましたが、
そのとき、内容にぎょっとしたことは
ありました。

そのときの内容なのですが
「お母さんに、自分がお腹にいたとき、生まれたときのことを聞こう!」
という内容で、
「お母さんに感謝しましょう」という
結論の話でした。

娘自身は、
私に自分が生まれたときの話を聞いて、
喜んでいましたし、
母親と自分、という話だったから
気にならなかったみたいです。


でも、私はそのとき、
母親と不仲である、
母親に虐待を受けている、
母親が自分や弟、妹を
出産したときに亡くなっていたり
母親が事故死や病死、自殺、殺されていて
この世にいない、
母親が犯罪を犯して刑務所に入っている、
など、母親に対して「感謝」だけではすまされないご家庭の子だっているし、

養子の子だっています。

そういう子たちは常に世間の
「フツーは!」
と闘って生きています。

学校では
生徒としか見られない。

お母さんと仲良しの子、
お母さんと不仲の子、
お母さんと死別した子……
などなど、すべての子が学校の中では
「生徒」として平等なのです。

それを「道徳」の名のもと

不平等に常にさらされるのです。


今回、小3の娘が道徳で出された宿題は
道徳の教科書を読んで、
設問に従って自分の考えを書くもの。


そのときの教科書の内容が3つありました。


1つ目は
「あいさつするのは大切ですが、あいさつする相手によって、かける言葉をかけましょう」でした。
そしてそのかける言葉は、
「相手を心配するような言葉(大丈夫ですか?など)」というもの。


これは、つまり

「空気を読める子」を称賛しているのです。


「空気を読める」のも特技の一つなので
「空気を読める子」を誉めるのはかまいません。
問題だったのは、みんなにがんばってあいさつする子より「空気を読める子」のほうが
偉い、という書き方に感じられたから。、

道徳は「こういう子になりましょう!」という型ハメ教育に感じるため、不信感を持ちます。

そして娘は「空気を読めない」ことで
色々と人間関係で苦しんでいます。
なので、娘は道徳の世界では
そこで描かれる
「ダメな子」のほうになってしまうので
読んでて辛いのでしょう。



次の内容は
「ゲーム依存によって生活リズムが乱れたり、友達多人数で外で走り回らないことを
いけないとした話」
でした。


もうこの内容は、娘の逆鱗にふれました。
娘の大好きな「ゲーム」を悪者として
描いてますからね。


また、内容を読むと
この子がゲームに依存するのは
親が子供に無関心なのに
口だけうるさい(はやく寝なさい、と
口頭命令のみ)状態だからじゃない?
と思ってしまった。
だって、子供が布団に入って毎日ゲームを
やっているのさえ気がつかない。
寝落ちをしてゲーム機持ったまま
朝を迎えているシーンがあったので
親は子供が寝たのか?のチェックさえ
してないってことですよね?
この内容は親についてですが
親がしっかり育児をしていても
学校などの外でのトラブルがあれば
ゲームに依存することはあります。
だから、
「ゲーム依存=100%親のせい」とは
私は思いませんが、

この道徳の教科書では

ゲーム依存になるのは
「子供がちゃんと自制して
規則正しい生活をしようとする気がない
自分勝手な性格のせいだ!」
→「周りの子にも気を使えるよう、そして、
自己管理できるよう、子供自身が努力しなさい」
という内容なのです。


娘が
「ゲームやらないと落ち着かないくらい
この子は何か悩みがあるかもしれないのに
なんで、それはガン無視なの?
ゲームが悪者になって、ゲーム好きな私が
悪い子みたいに言われているみたいで
許せない!!」
と憤慨。
自分にとってゲームはとても大切な
存在だから、そのゲームを否定されるのは
冷静に文章を読めないみたいです。


三つ目の内容は
「一人でいる子はかわいそうな子です。
だから、そういう子には積極的に声をかけて
仲間にいれてあげましょう。
そのように声かけをできる子が
良い子です。」
というもの。

もう娘の目は死んだ魚のような目を
していましたね。

娘、「まあ、これは、女児むけアニメや
戦いもののアニメでも、よく見かける内容
だから、慣れたよ。みんな、絆、とか、
みんなで力を合わせて、が好きだからね。」
と何か絶望したような顔をしてました。

そういうアニメは人気があるし、
面白い展開もあるから見たいけど、
毎回、一人でいるのが悪いこと、
かわいそうなこと、と
描かれるのが辛いので、
見たいけど見たくない、との狭間で
苦しんでました。
小2の終わりがけで、
自分が合わないものはたとえ人気でも
自分は見ない!
と決められたため、やっと卒業できた
アニメはいくつかありました。


「一人で行動してもいいんだよ」
「友達はいても、仲間じゃない」
「一人が楽しいと思うのも良いことだ」
とやっと娘は思えるようになったから。



以上が道徳の今回の宿題の内容で

うん、娘だけでなく母もきつかった。


なので、
「はい!これは、コンフィデンスマン(詐欺師)になったつもりで書く練習でーす!
道徳くん、という別の人物になりきって
書くのです。」
として、とにかく書きました。
あー、疲れた。



発達障害者の多くは
空気読めないし、
ゲームなどの
好きなものをやりつづける傾向あるし、
みんなでワイワイでなく一人でいたい
から、道徳は「発達障害者排除命令書」に
感じがしてしまいました。

発達障害者も定型発達者も
どちらもお互い生きやすいように
生きる世界がいいなぁ。


まあ、学校の先生も

本気で道徳を教えて
生徒たちが「他人を大切にして集団行動をトラブルなく行える子に育つ」とは
思ってないと思います。

学校の先生が
教科を決める訳じゃないですからね。


私が小学生のときも道徳はありましたが
道徳の時間に
道徳と称してドッチボールとか
 運動会や学芸会の練習とか
やっていた記憶があります。
時々教科書を読んで終わり、とか
テレビを見たりしてたかな?




娘は道徳の宿題をやったあと、
自由時間になったので
「ゲームをやる!私はゲームをやるんだ!」と
言い出して、ゲームをやりました。

おとといから、
スーファミにハマってるので

私と二人で、マリオワールドや
ゴエモンやマリオカート、
スト2を
やったりして楽しみました。

スーファミ時代のゲームって
難しいですね。
switchだと2日くらいでクッパを倒すこと
できるけど
スーパーマリオワールドは
まだクッパ城まで行き着けていません。



またそのあとは
「コナン!名探偵コナンを見たい!」
と娘は言い出しました。

その理由は、
「一人で行動してるコナンくんを見ると
自分もそれでいいや!と思えるから」
だそうです。

コナンくん、
力を合わせることはありますが
基本的に一人で何でもやっちゃいますものね。

「僕は一人じゃない」とか
「みんながいるから、僕はがんばれる」
とか言わないですもん。


私もそういうコナンくんが大好きです。

悩みも基本的に自分の自問自答だし。



ゲームとコナンくんのおかげで
少し落ち着いたみたいですが、
すごく今日は疲れたみたいで
夕御飯食べてからは
ぐったりしてました。

まあ、これでひとまず道徳は
やらなくて良くなるのでひと安心かな?

 

先週の授業記録です。

なぜか日付が2月になってますが5月の
間違いです。


こういう間違え方をするから
私はバカに見られるんだろうなぁ、と
つくづく思います…。




私は辞書を使うことは大切だと
思っています。

ただ、それに関しては
中学以降の子に対して、です。


中学のときは、
国語辞典、漢語辞典を使うのを
日常にしてほしい、という形で


高校から本格的に辞書を使う形。

国語辞典、漢語辞典はもちろんですが、

英和、和英辞典は必須。
英語で辞書を使わない子は
大学受験は無理だろう、と。

古語辞典も必須。

世界史や日本史も用語辞典は
理解する上で大切です。

文系科目で辞書をひかないで
大学入試まで楽々行けるというのは
めったにないです。

だけど、小学生で辞書をひく習慣は
必要か?というと、
ひくことができるならぜひしてほしい!
とは思いますが、
必須ではないよね?と
思ってしまう。

その理由は、

調べられるほど、知識が蓄積されてないから。

音読み、訓読みの見分けもつかないのに
どうやって調べるの?
教科書の国語の文章を読むだけでも
いっぱいいっぱいなのに、
あの太い辞書を開いて探す精神的体力が
あるのか?と。
 また辞書に書いてある文章の意味が
わかるの?とも。

もちろん、できる子はできるし
できるにこしたことはない。
だから、教科書に辞書のひきかたを
載せるのはかまわないんです。


ただ、国語も理科も社会も、
「調べる」プッシュしすぎて
身がない感じがするんです。


「辞書をひく」というのは
「調べる」ということ。
調べる、という行為は
ある程度の知識と経験がなければ
できません。

大学で研究や論文が書けるのは

その分野の最低限の知識があるから

です。

最終的には、
自分で予想し、調べて、
それが正しいか?の立証をする
のが目標です。


でもそれを小さい頃から続けたら
できるか?というと
そうではありません。


年齢相応に学ぶ内容、やり方のアプローチは
異なってて、
学んだものを確実に身に付けることで
初めて「調べる」行為ができます。

小学生でやる「調べる」は
「調べるのオママゴト」です。

オママゴトをしていくうちに
社会性は身に付くことはありますが、
知識を入れ込む時間を作らないで
オママゴトばかりやらせていたら、
実際に大人になれますか?

と思ってしまうのです。


まあ、私が発達障害者だから
そう思うだけで
定型発達の方は小学生のころから
楽々「調べる」行為ができて
大学でも論文が書けるのかもしれないので
なんともいえないですが。



あと音楽は茶摘みの歌を歌う宿題を
やりました。

娘は若干音痴なので
音痴克服のために
歌の歌い方も色々と
お話ししたりしました。
これについては後日、別の
お話で書きたいなー、と
思います。


遅ればせながらの学習記録です。

休校明けが近づいてきて、
なんだかソワソワしている娘。えーん

ゲームは3時を過ぎてから、と
いうルールがありますが、娘は
ずーっと
「あつ森(ゲーム)やりたい」
と言います。アセアセ

でも本人もゲームはできないのはわかってるし
勉強もしたいので、がんばるのですが、
どうしても、頭にゲームのことがよぎる。

そして、口の多動(ADHD)でもあるため、
頭にゲームのことがよぎるたびに
「あつ森やりたい」と言うんです。


もし定型の子供なら
「何回か言えば、
親が折れてゲームやらせてもらえるだろう」
という考えがあって
勉強中に「ゲームやりたい」と
言うのでしょう。

しかし、娘の場合は違います。
ただ頭にゲームのことがよぎるから
言ってるだけ。キョロキョロ

でも、ADHDASDのハイブリッドの娘は
このADHDによる発言がASDの
目の前にやっている作業に集中したいのに!というイライラが出るみたいです。ガーン

どっちもお主じゃん!

と、ASD純血主のこちらは思うのですが
娘本人は

ADHDの自分がASDの自分を邪魔するー!

という気持ちでイライラしたり、
困ってしまっているみたいですえーんえーん


そうとう辛いと思いますよ。
自分の中で常に闘ってるのだから。


なので、
ゲームをしたいのは
不安を消したいためだろう、
というのと、
娘は基本的にはくそ真面目なので

その日だけは
ゲームを先にやらせるかたちにしました。アセアセ


そうしたら、
ゲームしたい欲求が消えたので
勉強に集中できました。

こういうところが、
定型発達の子にはNGの育児を
することになるので
まあ親が「他人なんか気にしない」姿勢で
いなきゃやってられない。


発達障害の子の子育てをするというのは

「世間からの悪者」になることを
受け入れることが大切だったり
するのかな?と思います。ガーン









ゲームは勉強の敵ではないです。

ゲームに依存するのは、
勉強をしたくないから、でなく、

ゲームをしなければいけないほど
大きなコンプレックスや不安感などがあり、
それを打ち消したくてゲームをするのだと
思います。


私は勉強依存に近いですが
勉強に依存しても誰も気にしないから
問題なかっただけです。

でも、わたしが勉強に依存した理由と
ゲームに依存する子の理由は
同じだと思います。


それは、どちらも、

結果が出やすく、
成功報酬がわかりやすいから。


勉強ならテストで結果出て、
順位とか合格とか、そういう
わかりやすい成功報酬がある。

ゲームもクリアできるか?
の結果が出て
もらえるアイテムとか次のステージに、
とか、わかりやすい報酬がある。


だけど、人間関係って
どれが正解とかない。

だから、人間関係での不安感やイライラを
消すために自分の頑張り=結果、になる
ゲームをやりたがるのかな?と。

勉強に関しては
人によって、目標が違うため
成功報酬がゲームよりはわかりづらい。

だから、勉強よりゲームに依存しやすい
のかな?と思います。




また、私は苦手な問題形式がちょこちょこあるのでまとめてみました。

このあたりは、まんがで再度描きたいと
思います。ニコニコ


月曜日の授業記録です。

漢字演習のやりかた&線分図で苦戦 した話。、

漢字の練習でノートに書くとき、
学校の宿題では
「文章全体を書きながら覚えましょう 」
というやりかたです。、

確かに、多くのかたには有効ですし
たぶん私も先生なら、そうします。

だって、同音異義語はたくさんあるから、
あくまで漢字は文章の前後で読み取るから。

あめが降った、の、「あめ」を
「雨」でなく「飴」で書いたらおかしいから。


だから、先生の立場としては

「文章書いて!」です。

でも、それはあくまで
「漢字さえ書けば良いと思われるといけない」という気持ちがあるから。


しかし娘は
「今回は新しいことを習ったから、その漢字を覚えるので精一杯。だから、覚えたあとなら、文章から書くけど、最初から文章書いて覚える、となると、フワフワした漢字で頭に入らない」そうです。






線分図で苦労しました。

いや、解くだけならできるんですよ。

でも、なんかモヤモヤしました。

そのモヤモヤを放置しておくと
あるとき癇癪という形で不満爆発するので

学術的には~、ふつうは~、という
意見はおいておいて、

自分なりに心の中だけで
納得できる内容にしないと
気持ち悪くて。


線分図については、明日、別記事で
また書きたいと思います。
今日も自宅学習の日々。

娘は、最近、授業の合間の休憩中に
文字や数字に
私のマイキャラしゅるつるを入れて
気分転換してます。



こわい…。



計算式のときは、計算に集中してるけど
番号の数字で遊んでる…。

学校用のノートだとNGだけど
これは私の授業でだけ使うノートなので。





理科で昆虫について習ったら
さっそく変な問題作ってました。
どこにでもいる、しゅるつる…。

こんなにしゅるつるを
愛してくれてありがとうね。


今、流行っているゲーム
「あつまれ!どうぶつの森」でも
マイデザインで
しゅるつるばかり
作ってくれる娘。


子供にこんなにマイキャラクターを
愛してもらえるのは
嬉しいことだと
最近は素直に受けとろうと思います。
先週の自宅の授業記録♪

先週はたくさん人に会う日々だったので
ちょっと疲れました。

ただ、仲の良い人とか親類とか
勝手知ったる人々や
頭の中をフル回転して全力で
ぶつかっても良い相手だったり
したので、楽ではありました。

でも、人と会うには
精神的体力を使うので
精神的体力が少ないと
ちょっとしたことで癇癪を
おこしてしまいがちなので。

…ということで、学校で強制的に
勉強させられるのとは違い、
自宅学習だと、やはり、
「癇癪を外でおこさない」が
最優先になるので、
少なめの勉強になりました。

これこそ、
「発達障害児の自宅学習の育児ならでは」
の話かもしれません。

「外で癇癪おこさない」のが
「勉強ができる」
「みんな仲良く友達多い」などの
一般的価値観より何よりも
最優先になるなんて、
発達障害の人が身近にいないと
わからない感覚かもしれません。

癇癪って起こしたくて起こしてるわけじゃない。
癇癪おこしているときも、もう一人が
必死にとめようとしてるんだけど
暴走してしまう。それで自己嫌悪の繰り返し。

自分自身も自分を責めるうえに、
他人に責められ、蔑まれ、
までされたら、

「自分って何のために生きてるんだろう?」

と思ってしまいます。


私も娘も
自分、相手のお互いの
癇癪をとめるのが大切なので
お互いに力を合わせてがんばってます。


ただ、うちの子の場合、
勉強の世界に触れることが
癇癪をふせぐ1つの薬に
なっているみたいですので、

勉強=癇癪のもと、
ではなく、
勉強できないことでおこる人間関係=癇癪

みたいです。







学校からの宿題は
「演習」ですが、
それは暗黙の了解で
「暗記までしてこい」
「解けるようにしてこい」
なのです。

なので、自宅学習は
宿題やって終わり、に出来ないキツさ。
学校なら、テストの予告があるから
それで覚える行為をしよう!
となるけど、長期の自宅学習だと
テストまで親が設定してやらなきゃ
いけないから、まあ、そりゃあ
大変ですよね…。





昔から娘は、よく鏡文字を書いてました。

だいぶ、鏡文字は減りましたが
新しく習う文字は、時々、まだ
向きが逆になります。


昔は「何度も書いて覚えるしかないよ」と
話しましたが、
もう毛筆を一回教えたので


漢字の成立から考えて…

とできます。

とめる=力が入る

なので、終わりを止めるものと、
終わりをはらう、ものだと向きが違うのは
そのためかもしれません。


まあ、これは私の勝手な想像なのですが。


ただ、左利きの私が
習字の時間に生き残るため
必死で書ける術(すべ)を探しました。

みんなは無意識に書ける文字が
自分だけは書けなくて、
それでもやらなきゃいけないから
独自に無理矢理考えたんです。

娘は私と違い、右利きなのですが
鏡文字は娘のほうが多いそうです。



文字の勉強って、
歴史的成立した順番で習わないので
歴史を習うまでは「なんで?」の答えの
予想ができないこと多いんですよね。

筆(習字)→鉛筆

漢字→仮名文字(ひらがな、カタカナ)

なのに、習うの逆ですものね。

小1では、鉛筆で仮名文字ですもん。

歴史だって、
世界史→日本史のほうが
理解しやすいのに、
日本史→世界史
ですものね。


まあ、人によって
感じかたは違うのかも?とは思います。

ブログを更新する気力はなくても
ほぼ毎日、自宅授業はしていたし
授業記録もつけてたので、
遅ればせながら先週の授業記録を
順次アップします。



以前の記事にも書きましたが
小3の社会の教科書、
ほんわかしすぎて、
娘はイライラするみたいです。

私もなんですが、

これは私たちがワガママなのかなー、
とちょっと暗くなってました。

しかし…





娘が社会の教科書を「ニコニコ社会さん」と
あだ名をつけていて、笑っちゃいました。

夫は週休2日制導入前に
小・中学生だったので、

教科書は、
二色刷り(グレースケール?)でしたし、
社会の教科書は
ばっちり色々書いてありました。

私はそういう教科書の最後の小・中学生で
大学の時、塾で社会を教えたときは

すごいカラーページ満載になってて
びっくりしました。

さらに、ゆとり教育完全導入の時期、
私がバリバリ塾講師をしてたときには
もう社会の教科書、特に地理分野は

地域的に見て考える、
みたいなスカスカに…。


覚える用語は少なくなったけど
全体像がわかればスラスラ理解できる私としては、昔のように、
日本地図もしくは世界地図を全体に
山地や山脈や河川を習って

そのあと、都道府県や国名など、

そのあとで、農業や鉱山資源、
そして地方ごとの特徴

と「全体→全体で色んな視点→部分」

という形だったので、
「全体→部分」でないと頭に入らない自分
としては助かりましたし、
そういう地理は好きです。

なので、今の教科書は
なんか気持ち悪い。

「簡単だよー」「楽しいよー」
という雰囲気を出す、うさんくささ。


夫(とーちゃん)も私と同じ気持ちで
私もホッとしたけど娘もホッとしたみたい。


心療内科の先生は
「学校」=「正義」
「学校に従う」=「人生安泰」
という価値観なので
「学校関係で、親は悪口を
言ってはならない」と私たちを責めましたが

正直な不満を言わず、学校や教科書を
讚美するための親の言葉って
重くないですか?

不満の内容や不満を言う頻度が問題だと
私は思います。

「あの先生は指導力がないから、先生をやめてほしい!」とか、他人の未来まで負の要望で支配するような話は子供には言ってはならない言葉だけど、
「あの先生は、困っている子供に気づかないのね。うーん、そうなると、娘、辛いよね、私も辛い。」という、ただの事実と、自分がそれによっておこった現在の感情は言っても良いかも?と。

親が何も言わなくても
子供自身が学校や先生に
不満を持つことは
あります。
だから、
子供は親の所有物でも
洗脳できる人間でもないのだから、
親が正直な気持ちを言うことが
必ずしも100%悪いとは思いません。

心療内科の先生の言葉には
従いたくないナー、と
ずっと思ってます。


新型コロナによる休校開始から
心療内科に行ってないけど
7予約をしてるので心療内科行きたくないなー。転院しようかなー、やっぱ。




昨日の自宅学習の記録です。

生まれて初めて毛筆を教えました。

でも、長期休校でお習字セットが申し込めていないので、家にお習字の道具がないので

筆ペンと画用紙で代用。

元々、学校から出された宿題は

硬筆。

しかし、毛筆の書き方を意識した硬筆の
練習、というものだったので、

毛筆を教えなきゃいけないじゃん!

と思いました。

これが、毛筆を習ったあとの、
小3の夏とか、小4とかなら、

「お習字の書き方を意識して
鉛筆で書こうね」

と言えます。

しかし、娘は小3で初めて
毛筆(お習字)を習います。

なので、お習字のやり方をわかるはずもなく。


幼稚園ではやったことありますが、
もう幼稚園の記憶は絵の具の時同様に
トラウマすぎて記憶から消しちゃってる
みたいなので。



しかし、私は、左利き。

小学校のとき、学校の先生に
無理矢理
「みんな、右手で書いてるから
右手でやれ!!
フツーは右手だ!

矯正されなかった、お母さんが悪い!」

と散々言われました。


私はお母さんが自分のせいで悪く
言われるのが一番嫌で、
もう右で書くしかありませんでした。


なので、簡単な文字なら確かに
右で書けることは書けます。

でもイライラします。


お料理もお裁縫も習字も

右手でやるのが基本!

という姿勢の文化なので

もう左利きの私は

「左利きを押し通せば育ちが悪い、ワガママ」

と罵られ

「右手でがんばれば、ある程度は
右手でできるけど、そこには
右利きの人の努力の過程にはない、
脳の拒否反応による吐き気やめまいと
常に戦いながら得た結果にもかかわらず、
右利きの人の「フツー」の状態にも
たどりつけないため、
ダメなやつとレッテルをはられる」

の二択。


そろばん、も大嫌い!
あれも右でやれ!と言われるもの。

もちろん、車の運転も。


駅の改札の不便さくらいなら
我慢できるけど、

細かい作業で何かをするのに
利き手でないのは、かなりの
負担です。


娘が右利きなのは、
私としては
「習字や技術家庭科で私よりは苦労しないかも?」と思います。

私は今さら右利きになりたいとは思わないし
左利きも右利きも優劣はなく同等で
ありたいとは思う。
でも、世間はマジョリティの味方だから。









社会の教科書の教科書って
ほんわかしすぎて、何を覚えるか?
どう教えていいか、わかりづらいですよね。

ちょっとまとめてみました。


教科書としては
「楽しいよー」
「調べるのよー!」
というのを出したいのでしょうが

「調べる」という行為は
一定以上の「知識」が頭の中に
貯まって、初めてできる行為です。

たとえば、「ぺにょぴにょん」について
みんなで考えてみよう!
と言われても、「ぺにょぴにょん」が
人なのか物なのか、建物なのか、
それとも事象なのか?などもわからない
ですよね。
なのに、教科書では
「わあ、ぺにょぴにょん!大きいね。」
「ぺにょぴにょんには、赤と黒があるわ。
どうして、そんな違いがあるのだろう?」
とか教科書に出てくるキャラが話しても

意味不明ですよね?

しかし、
「ぺにょぴにょん、とは、日本で
つくられた金属製の丸いオモチャです。
ぺにょぴにょんには、赤と黒のものがあり、
その違いは、銅が入っているか?に
よります。銅が入っているものが赤、です。
このぺにょぴにょんが作られている地域は、
にーにー県いちいち市。
では、いちいち市の地図を見て、どこに
工場があるか?を確認します。」

と書いてあった方が、
私としてはわかりやすいのですが…。

(ぺにょぴにょん、は存在しない言葉です。)


まあ、あくまで、私たちが苦手な
教科書構成なだけで、
今のような教科書構成であるほうが
良いと感じる人も多いかな?とは
思います。

得手不得手ってありますから。