みなさま、本日もありがとうございます。
娘が不登校になり、半年以上経ちました。
去年の夏休みは、宿題をしていたとき、
問題を解く系や
情報をまとめる系(自由研究)では
癇癪をおこしませんでしたが、
自分の気持ちを書く系(読書感想文や、
「夏休みの友」系での道徳や保健体育系)
では、癇癪おこしたりして大変でした。![]()
「どう書けば、先生に怒られないか?」
「こう書いたけど、もしかして、
自分だけ先生に求められる答えと
違っていて、みんなの前で説教されたら
どうしよう?」
とか、そういう心配、不安感で頭が
いっぱいになり、
こちらのちょっとした態度や声掛け次第で
癇癪に発展してしまうことも、よくあって…。
なので、親子とも常に緊張状態で
自分の気持ちを書く系はやっていました。
今年は、勉強はするものの、
…というか勉強そのものは不登校になって
からのほうが、かなりボリューミーに
やってますし、
自分の気持ちを書くと系もやってますが
学校に提出しないので
本当に自分の気持ちを書いてますので
あまり癇癪はおきません。![]()
どういうことか?というと、
例えば、
「どうしたら、いじめをなくせるのか?」
の意見を書くとします。
そのとき
「いじめはなくならない」という前提で
書いたとたん、学校側は怒ります。
(怒る恐れがあります。)
でも、娘としては
「いじめはなくならない、なぜなら、
歴史を見て、そして、人間の心理を
分析した結果、……で。
そこから、いじめがおこるメカニズムは
こういうことだと思うので、
そのメカニズムがおこらないようにする
ために、このような配慮や組織運営をしたり、
子供同士なら、このように考えたり…、
そのようにして、
いじめが起こらないように努力することで
いじめを少なくしたり
いじめが万が一起こったときも
自殺等のさらなる悲劇をおこさないように
する対処もできる。」
…みたいに書きたいけど、
「いじめをなくす目的で書いてほしいのに
いじめはなくならない、と書いている
時点で、まじめに取り組む姿勢がない、
とか、性根が腐ってる」とか
学校の先生は言う可能性があるので
先生の気持ちに忖度して書くのが
娘には苦痛だったみたいです。
(先生と対立したくはないため、
忖度の方を選ぶ。)
もちろん、すべての先生が同じ意見や
同じ考えではないのもわかっているので、
先生に不信感を持ってしまう自分自身にも
罪悪感を持つので、キツかったみたいです。
さてさて、ここで本題。
この約半年間で、あることがわかりました。
娘、私が苦手なことのなかに
「あいまいなこと」があるけれど
でも、歴史や言語などを学ぶとき
「あいまいなこと」は多々あります。
たとえば、
昔(特に中世)はいわゆる「国家」という
枠組みでの価値観はなく、
宗教や職業、身分による結び付きなどが大きく
住んでいるところに関しては
ゆるやかな、土地的にも精神的な境界線が
あいまいな部分は
ありました。
言語でも、
白黒はっきりできない、あいまいな部分は
あったりして、あいまいだと受け入れれば
かえってわかりやすいところはあります。
そういう「あいまいなこと」に関しては
むしろ魅力的にも感じる自分がいることに
私も娘も気がつきました。
二人ともASDなので
「あいまいなこと」すべてが苦手なのかも?
と最近まで思ってましたが
「あいまいなこと」すべてが
苦手なわけではないと。
では、どういうあいまいなことが苦手か?
というと、
「相手の指示は、
あいまいなのに、
相手側の求める答えは
決まっていること」
に対してで、
さらに、相手の求める答えが違うと
罰を与えられたり
怒られたり、
相手が黙って不機嫌になる、
とか、そういう「あいまい」なのが
苦手なんだな、と。
もし、自分が求める答えを言ってほしい、
自分の求めるような行動をしてほしい、
と思ったら、相手の性格や価値観を分析し、
うまく誘導したり、
きちんと自分はこうしてほしい!と
明言するリーダーが私は好きだし
自分もなるべくそういう風に
するようにしています。
リーダーには様々なタイプがありますが、
私は、もし何か相手に自分の思いどおりに
動いてほしいなら、
リーダーは自分が悪者と思われようが
恥をかこうがなんだろうが
相手が察して動けるための材料、情報は
最低限提供するのが筋だと思ってます。
また、相手に動いてほしいなら
自分がどう相手に動いてほしいのか?を
きちんと心の中で言語化するなりしないと
自分の言っていることも二転三転して
相手を困惑させてしまいます。
なので、「あいまいな指示」しか出さずに
相手がこちらの意図と違うことをしたときは
その指示を出した自分が悪かったと
次回に向けて対策するし、
あいまいな指示でも多くの子は
察して動けても、
一部の子は動けなかったら
その子を責めたりするまえに
どういう子かをじっくり観察したいです。
ただ、かまってほしいから
わざと困らせることをしているのかも
しれないし、
ASDであいまいな指示だと動けなくて
本人は困っているのかもしれないし、
精神的な問題で、こちらが指示を
出したとき、頭に入ってこなかったかも
しれないし…と。
相手を責める、皆の前で怒るのは
虐待レベルにならないのなら、
最後の手段としては
いたしかたない
とは思ってますが
「あいまいな指示でも動けない子」に対して
責める、怒るのありきの人は
私や娘にはキツイんだな、と思いました。
そういう相手に対しては
可能な限りは近づかない、
逃げられないなら
なるべく相手がどういう人か観察して
相手にどういえば相手は自分を攻撃しないか?
で自分が相手に言う言葉をあいまいにしないことかな?と思ってます。
相手はあいまいなことしか言わないけど
別にあいまいなことを言われるのが好きなわけ
じゃあ、ないものですものね。
今は、歴史なり、古典なり読んだり観たりして
娘の今後の実践にそなえて
力を蓄えていきたいなぁ、と思います。








