みなさま、本日もありがとうございました。
かなり前になりますが、娘と
母校(大学)の学園祭に行きました。![]()
やはりアカデミックな雰囲気は
落ち着きます。![]()
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不登校の娘、大学に行けるかな?
…と不安感にかられますが、
今はとにかく前しか見たくないです。
後ろを見ようが、前を見ようが、
時間は一方通行なので、
とにかく今は目の前のことに
対処したいです。
私自身が娘が不登校になったから
今の学校制度に対して思うところが
突然できたわけでなく
自分が小学生のころから
学校制度について違和感がありました。
小学校での違和感は
ハンパなくて…
でも、大学のときに
その違和感は
「小学校先生は、自身が教えている
勉強内容を愛しているのだろうか?」
という疑問由来なのでは?と
気がつきました。
大学の先生(教授)は
授業そのものは、ボソボソ話したり
わかりづらい授業もありましたが、
自分の教えている内容を
「愛している」のは伝わってきます。
まあ、その内容を好きだから
研究したくて大学教授に
なったのだから、当然といえば
当然なんですが…。![]()
なので、大学教授は
学生が興味なさそうな態度を
すると、落胆しています。
でも、小学校の先生って
「解けること」=「勉強の唯一の楽しみ」![]()
だと思っている人が多くて
さらに
「解けないこと」=「かわいそうなこと」![]()
という図式になりやすい人が一定数います。
確かに、解ければ楽しいし、
あまりに解けないと
悩むことはあります。
でも、
人によっては
簡単に「解けない」からこそ「楽しい」![]()
と思う気持ちもあったりします。
「一瞬で理解する人」もいれば
「時間をかけて理解する人」も
います。
でも、「理解できた」ことには
かわりはなくて、
その理解するまでの時間こそ
「
有意義な充実した楽しい時間
」
と思う人もいるわけです。
でも、小学校だと
他の人が「解けたら」
その同じ速度で「解けない」なら
それは「不幸」
「愚鈍」![]()
という図式のことが多くて…。
それが集団圧力になり
勉強ができるようになる子もいますが
その集団圧力が合わないのに
それに適応しないと
学校の先生に人格否定されたり
自分の大切な親や
自分の趣味や心の支えのものを
馬鹿にされるので
自分や自分の大切な人、
自分の好きなものを
守るために
その集団への過剰適応ばかりに
精神的体力を注ぎ、
「理解する楽しさ」に使えないのが
キツかったなぁ、と
今だと思います。
テスト勉強やテストそのもの、
受験勉強も
とても楽しかった。
今でも、一人で黙々とテスト勉強するのは
楽しい。
でも、それは
「理解して初めて点数をとれる」
というのがわかっているから。
学校の先生が喜ぶように行動して
それで喜ばれようが、ほめられようが
それでは。なんのために生きてるか
わかんなくなります。![]()
まあ、大学でも合う合わない先生はいたので
小学校でも合う合わない先生がいて
しょうがないですが…。
ただ、やっぱり、
自分の力だけで暮らしていけない、
身体的にも戦っても勝てない大人に
教えを受けるときに
合わない先生がいるのはキツいですね。
少なくとも、勉強できないから
みんなの前で人格否定とか
公開処刑を良しと思う先生は
他の人がどれだけ良い先生だと言おうが
こちらはその先生のためには
動きたくないなぁ、と最近思います。
