小学校の先生に対して疑問に思うこと | 「育児書にない!&しゃかりき!」〜元塾講師&ASD母子&不登校勉強対策用のブログ

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ASD当事者で、子供もASDです。元社会科塾講師です。
歴史の受験勉強、育児についての話や不登校の娘への対応の話、自分自身の生き方についても語ります。

2025年春に、塾講師ブログ「しゃかりき!」と合併しました。

みなさま、本日もありがとうございました。


かなり前になりますが、娘と

母校(大学)の学園祭に行きました。ニコニコ


やはりアカデミックな雰囲気は

落ち着きます。ラブラブラブラブラブラブ


不登校の娘、大学に行けるかな?

…と不安感にかられますが、


今はとにかく前しか見たくないです。


後ろを見ようが、前を見ようが、

時間は一方通行なので、

とにかく今は目の前のことに

対処したいです。







私自身が娘が不登校になったから

今の学校制度に対して思うところが

突然できたわけでなく



自分が小学生のころから

学校制度について違和感がありました。

小学校での違和感

ハンパなくて…



でも、大学のときに


その違和感


小学校先生は、自身が教えている

勉強内容を愛しているのだろうか?


という疑問由来なのでは?と

気がつきました。



大学の先生(教授)は

授業そのものは、ボソボソ話したり

わかりづらい授業もありましたが、

自分の教えている内容を

「愛している」のは伝わってきます。

まあ、その内容を好きだから

研究したくて大学教授に

なったのだから、当然といえば

当然なんですが…。ニコニコ


なので、大学教授は

学生が興味なさそうな態度を

すると、落胆しています。




でも、小学校の先生って



「解けること」=「勉強の唯一の楽しみ」ラブ


だと思っている人が多くて


さらに

「解けないこと」=「かわいそうなこと」えーん

という図式になりやすい人が一定数います。



確かに、解ければ楽しいし、

あまりに解けないと

悩むことはあります。



でも、

人によっては

ラブラブ簡単に「解けない」からこそ「楽しい」ラブラブ

と思う気持ちもあったりします。




「一瞬で理解する人」もいれば

「時間をかけて理解する人」も

います。


でも、「理解できた」ことには

かわりはなくて、


その理解するまでの時間こそ


ルンルン有意義な充実した楽しい時間ルンルン

と思う人もいるわけです。




でも、小学校だと


他の人が「解けたら」

その同じ速度で「解けない」なら

それは「不幸」えーん「愚鈍」ムキー

という図式のことが多くて…。


それが集団圧力になり

勉強ができるようになる子もいますが


その集団圧力が合わないのに

それに適応しないと

学校の先生に人格否定されたり

自分の大切な親や

自分の趣味や心の支えのものを

馬鹿にされるので


自分や自分の大切な人、

自分の好きなものを

守るために



その集団への過剰適応ばかりに

精神的体力を注ぎ、

「理解する楽しさ」に使えないのが

キツかったなぁ、と


今だと思います。



テスト勉強やテストそのもの、

受験勉強も

とても楽しかった。


今でも、一人で黙々とテスト勉強するのは

楽しい。


でも、それは

「理解して初めて点数をとれる」

というのがわかっているから。



学校の先生が喜ぶように行動して

それで喜ばれようが、ほめられようが

それでは。なんのために生きてるか

わかんなくなります。ガーン



まあ、大学でも合う合わない先生はいたので

小学校でも合う合わない先生がいて

しょうがないですが…。



ただ、やっぱり、

自分の力だけで暮らしていけない、

身体的にも戦っても勝てない大人に

教えを受けるときに

合わない先生がいるのはキツいですね。


少なくとも、勉強できないから

みんなの前で人格否定とか

公開処刑を良しと思う先生は


他の人がどれだけ良い先生だと言おうが


こちらはその先生のためには

動きたくないなぁ、と最近思います。