娘が不登校になって、先生の姿勢で気になってしまったこと | 「育児書にない!」~ASD母子の育児&お勉強&歴史の授業~

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ASD(自閉症スペクトラム)当事者で、娘もASDである、元社会科塾講師のセザール=れくす、が描く、「ASDのお子さん向けの受験勉強についてのブログです。
育児についての話や不登校の娘への対応の話、自分自身の生き方についても語ります。

みなさま、昨日もありがとうございます。



今回は愚痴です。


しかもかなり毒舌です。えーんえーん



もし、学校の先生のことが大好きな方や


教育学部出身、在校の方、教員の方、


不登校の子を学校に行かせたいと思う人には

不快に感じられるかもしれないので


こちらの記事をご覧にならないよう

お願いします。









龍龍龍龍龍龍龍ヘビヘビヘビヘビ馬馬馬










学校そのものは冬休みに入り、

通知表やら冬休みの宿題やらを

学校に取りに行きました。



通知表は、担任の先生の忖度なのか

ほぼ◎、算数、国語はオール◎。


たしかにテストは全部満点でしたが、

娘は不登校になってからは

テストを受けてないから


「え?◎なの?」


と、驚きました。びっくり


まあ、昔は相対評価でしたが

今は絶対評価であることと、


受けた授業態度と提出物と

受けたテストのみでの判断での評価

なのかな?と。





もう娘は今後、小学校に行くことは

ない気がするから、

これからの通知表は、

スラッシュ(/)のみの

通知表になるので


これが最後の通知表なんだな、



と、なんというか、言葉に出来ない

さびしさ、を感じました。



満点、◎という、目の前の結果より


じっくり辞典や図鑑を調べたり

体系的に勉強して

自分の納得する勉強したいんだものね、娘。


私も正直、間に合わせのために

自分のやりたい勉強方法を我慢する方が

キツかったので、


まあ、もういいかな?と。



先生に執拗なダブルバインドな公開処刑の

ような説教を

されるのを恐れて、毎回、満点取るための

勉強はキツかったんだろうな、娘。



実は私のなかで、すーっごく、すーっごく、

なんというか、モヤモヤした怒り

あるんですよ。



なんというか、先生方とお話をしていて、


先生たち、

たぶん私のこと

「めちゃくちゃ教育ママ」と

思ってるんだな、と

感じたんです。



たしかに「教育ママっちゃ教育ママですよ。」



でもね、先生たちが思っている

私の像って


「家で、毎日毎日、友達と遊ぶのさえ

禁止して、プリントやらせまくって、

勉強させ、満点しか許さない母。


そのくせ、子供が学校に行きたくない、

と泣き叫べば、簡単に言うこと聞いてしまう、

子供をうまくコントロールできない、

甘い母。」


なんだろうな、と。



話していて、ヒシヒシと伝わるんですよ。



おそらく「不登校になったのは、

お母さんのせいですよー」的な。




そうですよー、不登校になったのは

私のせいにしたければ

すればいいですよー!



だって、

娘が泣き叫び、

家から出ようとしないので、


夫が大激怒して、

娘を恫喝レベルの状態で


娘を無理矢理、外に出そうとした、あの日に、


私が

「もう、学校に行かせる努力を

他の努力に回したい!」と決めたんだもん。



泣き叫び、

「もう、がんばれない!もう無理!

学校に行きたくない!」と

半狂乱になっている娘に


「人生の落第者になるぞ!」と恫喝する夫に

私が大激怒して、泣きながら


「もう限界だ!誰がなんと言おうと

私が娘を休ませる!」


と言い、夫と大喧嘩して休ませたのが

実は不登校の始まりだから。



ここまでいきつくのに、

私は半年以上、悩みに悩んで

決めたんですよ。



ただ、娘に甘いと言えば甘いし、

私が無理矢理、毎日、怒りまくって

娘が学校に行かせ続ければ

諦めて娘は学校には、1ヶ月くらいは

行けたかもしれません。



なので、そのあたりは

弁明するつもりもないですし、

そう思うのも無理ないわー、と。





ただ、私のなかで「そうじゃない!」と

いうのがあるんです。えーん



それが、私の勉強に対する姿勢について。



私はテストの点数は

あくまで、理解した結果の数値化と

思っているにすぎず、


満点をとったのなら、

そこで出題された形式のものは

理解した、もしくは、解き方のパターン化を

内在化できただけ、

でしかなく、


その勉強内容そのものを

すべて理解した、とも、

満点とれたから

頭が良いとも思ってません。



満点がとれたら、

単純に「この勉強方法で良かったのね」

のデータ化蓄積でうれしいし、


やり直しの時間は少なくてすむので

応用的な問題に時間を割けるな、

と思えるわけです。





それが「満点をとるのに固執する母親」

と先生方に思われることが、心外でした。えーん



私の勉強への愛は

そういうレベルじゃない!


推しが汚された!


みたいな気分です。



勉強すること、それだけで

落ち着くのであって、


点数とれなくても勉強し続けたい!


自分よりはるかに勉強得意な人が

いるのはわかってるけど、自分は

ずっとずっと勉強する世界にいたい、


そういう自分を否定された気分。





「家でお母さんが教えていると

イライラすることはあると思うので…」

という前提で話される。



イライラするわけないじゃん!


ワクワクするぞ!


娘が解けなさすぎて、ヒヤヒヤすることは

あるけど、イライラはない!




「家にこもりっきりだと、

自分はダメな子だと思ってしまうと

思うから…」

という前提で話される。



うん、そうだね、

先生たちは

「学校に行けない不登校の子」=「ダメな子」

と思っているんだね。


まあ、そう思っちゃうのはわかるよ。


だって、不登校だった人が学校の先生に

なるなんて、めったにないしね。



不登校の子を馬鹿にしてたんでしょ?

人生の落第者だと昔から思ってたんでしょ?

と。



小学校の先生の教員免許をとる場合、

教育学部じゃないと、なかなか取れないです。

(中学、高校の教員免許は

文学部や理工学部でも、資格用単位と

教育実習等の実習を受けたら取れる。

しかし小学校の教員免許は、

大学によっては取れない。)


…ということは

高校生の時点で

「自分は学校の先生になりたい!」

と思う人でないと

小学校の先生になることは

めったにないんだろうな、と。


少なくともそれって

高校生の時点で

将来、同僚、上司になる相手(学校の先生)に

対して、トラウマになるほどの嫌悪感を

抱いた経験をしていないってことですよね?


もちろん、自分の不登校の経験や

不登校になった兄弟や友人との

経験から

小学校の先生になった人もいますし、


教育学部でなくても

個人で小学校の教員免許を取得することは

できるので、

全員が全員、同じタイプではないけれど。


また教育学部そのものが悪いという

意味ではありません。






ただ、


小学校というシステムに

好意的でないと

小学校の先生にはなろうとは思わない。


まさか、小学校のシステムそのものに違和感を

感じながら、必死に生きていこうとする子が

いる、とは予想できない人も多いのかも

しれません。




そして一番、私が感じるのは


「家での勉強より

 学校の集団授業の方が優れている」

という価値観がプンプンしてくることです。




「集団授業 is ナンバーワン!」の価値観。

これは、私が塾講師をしてたときでも

感じました。


たしかに、集団授業だと、

問題演習やテストの回数は多いですよ。


周りの目もあるから

逃げられない強制力もあるし、


一回できても何回もやるので

知識や技術の定着につながります。



また、集団授業のほうが

いろんな子の反応があるから

まあ、教える側の充実感もハンパないんです。



なので、塾講師の中でも


「集団授業できる講師が優秀」

「集団授業についてこれる生徒が優秀」



という価値観の人がほとんどでした。



まあ、集団授業ってたしかに難しいですよ。


だから、自尊心は必要です。


でも、それと

「家庭教師は集団指導する講師、教員より劣っている」と思うのは別物だと思うんです



実は集団指導塾、さらに、進学塾の

講師を私がやっていたとき、


私が言うアドバイスや勉強方法や考え方

に対して、


生徒さんや保護者の方のほとんどは

何も疑わずに信じていました。



「先生のアドバイス通りにしたら

成績があがったよー!」

ともよく言われました。



そのときは

自分は


「正しい指導をしているから

みんな信じてくれているウインク

と思ってました。




しかし、集団指導の進学塾の講師をやめ、

フリーの家庭教師になったとき、

同じことを言っても

信じない生徒さん、保護者の方が

多くなりました。


でも、

「元、進学塾(有名なところ)の講師だった」「教員免許取得している」

と言うと


コロッと信じる方も多かったんです。アセアセ





そのとき、


「集団指導の進学塾で教えていたときの自分の意見を、多くの方が信じたのは、



私が言ったことに納得したからでなく、


私が集団指導の大手進学塾の先生だから


という

肩書きで信じただけなんだ。」


と気がつきました。えーん



虎の威をかる狐だったんです、私。



でも、私が虎の威をかる狐と気づいたのは

自分が、虎が後ろにいない狐の立場に

なって、初めて気がついたんです。



つまり、


ずっと、集団指導の進学塾の

先生を続けていたら、



それに気がつかず、


「自分の指導は、すべての生徒さんに

とって正しいもので、


うまくいかなかった

生徒さんは私の言うことを

聞かなかったから。ニヤリ


と思っていた可能性も

高いのです。



でも、それでも、塾講師と言う

世間では馬鹿にされやすい職業の方だった

ので、まだまだそこまでおごり高ぶりは

しなかったとは思います。



塾講師って

「学校の先生になれなかった人がなるもの」

と思っている人も多いから。



いや、違うんですけどね。


教員採用試験落ちた人が

しかたなく塾講師になった、

という人もいるけど。



つまり、何が言いたいか?というと、


「教育学部で、ストレートで小学校の先生になった」人の場合、

「自分の言うことを生徒さんや保護者の方に

従うのは自分が絶対的に正しいから」

と思ってしまう人も少なからずいるのでは?と。



学校の先生という肩書きなしでも

はたして、目の前の生徒さんや保護者のかたは

従うのでしょうか?


という疑問を持ったことはあるのかな?と。



もちろん、個人個人で違いますし、

他学部出身でも自意識過剰な人はいます。


教育学部だから全員自意識過剰では

ないです。





私が何を言いたいか?というと、


「娘の勉強は

家で私が一から教えてます。」


と先生に言うと





家庭教師、しかも、母親だろ。


どうせ、たいしたこと

してないんだろ。ニヤリ


問題集かなんか解かせて、丸つけして、

わからないところだけ、

やり方説明している

だけだろ!


怒ったとしても

ヒステリーにわめきちらかして

終わりだろ!」

馬鹿にしている雰囲気が


先生方と話していると、

ひしひしと感じるんです。キョロキョロキョロキョロ




そこがすーーっごく、私のなかで

かなり気になり、怒りポイント

だったみたいです。ガーン




こちらは、教材研究、プリントやテキスト作り、そして、授業、問題演習、テストまでさせ、娘に教えきる、 までさせてる。


諭す、叱る、はしますが、


それも感情で怒ることはない!

それはしないのが教育だろ!と。


すべてのほとんどの時間を娘の授業に

割いているんだ!




担任の先生のように

「どの発電所が好き?」

で終わらせず


発電の方法から

さまざまな発電所の説明もがっちりし、

問題も解かせ、

娘が自分の言葉で説明できるまで

教えきるんだ!!



国語も「主人公に同調しよう!」「感想かこうね!」で終わらず、読解をがっつりやった上で、感想文をがっつり書かせてるんだ。




別に私と学校の先生のどちらが

指導力あるか?とか争いたいわけじゃない。



私が許せなかったのは


私が娘に教えているところを


実際に見たうえで



私に指導力がない!という

結論を出すならかまわない。



そうではなく、



母親、家庭内の授業という

肩書きだけで





最初から、

学校の授業より私の授業が

劣っている、


決めつけ


その劣っている授業を

受けている娘を


「かわいそうな子」と決めつけている姿勢。」


に怒っているんです。



私自身を馬鹿にすることに

怒っているのではなく



娘を「かわいそうな子」と決めつけていること

に怒ってるんです。




娘は「家庭教育しか受けられない、

かわいそうな子」でなく

「かわいそうな子と決めつけられた、かわいそうな子」なんだ、と言いたいです。




学校の先生方からしたら、


たぶん、私と娘の関係って

とても特殊だからわからないかもしれません。


私と娘って、


娘が赤ちゃんのころから

幼稚園年少さんまでは

仲がわるかったんですよ。


娘は

まったく母親の私になつかなかったんだから!



「赤ちゃんはお母さんが好きなものだよ」

という言葉にどれだけ私が傷ついたことか!


こちらはすごく努力しましたよ!

とんでもなく努力しました。



でも、無理だった。


今から思えば、夫が娘が泣くと

私から離してしまい、ASDの娘は

誤学習してしまっただけなんですが…。


当時は何度、探したことか!


電車のホーム、屋上に、ずっと立ってたよ。


いつ、飛び降りようか?ばかり

考えてましたよ、私。




それが、娘が幼稚園の年中さんで

拒食症になってから、


娘と私、それぞれが

お互いを信頼しよう!と

必死でがんばり、





幼稚園の先生、

ご近所のママさん、

義実家、

夫、



にどれだけ愚弄されようが



二人で必死に手をとりあって、

自分達の道を切り開いてきた。



誰も味方はいない。

敵しかいない。


そんなときもありました。



どんなときでも、

お互いに

「この人の愛を疑わないようにしよう」と

必死に手を離さず、耐えてきたんだ。


自分で自分の居場所をつくってきたんだ。





だからこそ、


「お母さんの授業が良い」

と娘が泣きついたとき

私は拒めなかった。



「また、二人だけの世界に戻っちゃった

けれど、頑張ろう!


久々だねり


またいつか、

二人だけの世界から

他の人とも交流しても楽しくなる世界に

行けばいいさ!


そのとき、自分で自分の居場所を

作ろうね。」


と思ったんです。



少なくとも、幼稚園時代と違い、


私さえしっかりと説明すれば


実母と夫の2人は味方になってくれる、

のはわかっているだけ


楽になったさ、と。



昔は、夫は「義実家のご両親に従順な息子くん」「先生の味方」だったのが

「娘の父親」にかわったから。



一週間の説得で娘の不登校も

夫は受け入れました。






学校の言い分もわかります。


学校として、先生なりに

娘のことを考えているのはわかります。


ただ、私のなかで

「まずは、今は二人だけの世界で

家庭教師をさせてくれ。

それから!それから、自分達のペースで

社会に適応する努力をするから、

待っててほしい。


信じて!と言っても

信じられないかもしれませんが、



今は、私を信じて

娘の教育を一任して下さい」なんです。





学校に頼れたらどれだけいいか!