「ごじたくーる 歴史模擬授業」古代ギリシア5 ペロポネソス戦争とマケドニア | 「育児書にない!」~ASD母子の育児&お勉強&歴史の授業~

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ASD(自閉症スペクトラム)当事者で、娘もASDである、元社会科塾講師のセザール=れくす、が描く、「ASDのお子さん向けの受験勉強についてのブログです。
育児についての話や不登校の娘への対応の話、自分自身の生き方についても語ります。

みなさま、昨日も、ありがとうございます。


今日は土曜日なので

「ごじたくーる 歴史模擬授業」シリーズです。


初めての方はこちら↓ 



前回はこちら↓ 





ついに、1ヶ月以上続いた、古代ギリシアの

歴史も終焉を迎えます。ニコニコ


長きにわたり、

ご覧いただきありがとうございます。


(授業としては、ギリシアの文化の回が

あるので、もう一回あります。)



1:古代ギリシアのポリス社会の終焉

 

1:はじめに

前回は、強国アケメネス朝ペルシアに

ギリシアの連合軍が勝利したペルシア戦争

の話。


そして


ペルシアの復讐に備え、

アテネを盟主とした、

デロス同盟を

結んだ、という話をしました。



…というのが、前回まで。



この時期までは、


戦争はちょこちょこおこるだろうけど、


ペルシアは強国のまま、

永遠に続くように見えたし


ギリシアのポリスもそれぞれが

覇権争いをしつつ、

ずっと別々に独立して暮らしていく

のだろう、


そういう未来しか見てない人達が

ほとんどだったのでしょう。





それが、まさか、

当時としては

ギリシアのポリスからしたら

「田舎者」と思っていたでろう国が



ギリシアのポリスに次々と勝利し

ギリシアの覇権を握り、


あの強敵だったペルシア(アケメネス朝ペルシア)を滅ぼす



とは、当時、だれが想像したでしょうか?



今日はその話です。




 

2:ペロポネソス戦争

ペルシア戦争に勝利したギリシアポリスの

連合軍。


そして、デロス同盟の盟主となった

民主政アテネは、だんだんと勢力を

広げていきます。



それに対して、警戒心を抱いたのは、

ペロポネソス同盟の盟主スパルタ。


スパルタは、最強の陸軍を持った

貴族政ポリスです。



そして、

ペロポネソス同盟とは、

ペルシア戦争以前から結ばれている

軍事同盟です。




軍事同盟とは


ただな単に仲良しだよー、という

結びだけでなく、


なにかあったときは、

同盟国は味方になるよ!


というものです。



つまり、戦争がおきたときは

同盟国は資金援助したり

一緒に戦争で戦ったりする、

という約束をした国(ポリス)たちの

集まりということです。




ペルシア戦争後は


民主政アテネ率いるデロス同盟の同盟国



貴族政スパルタ率いるペロポネソス同盟国


という二大グループ対立みたいな構図が

できあがったわけです。





こうなると、

ひとたび戦争がおこると

どうなるか?

予想できる人もいるかもしれません。




元々はコリントスというポリスが

アテネと敵対関係に。

コリントスはスパルタと

ペロポネソス同盟を結びます。



スパルタは軍事強国でしたが

経済的に脆弱でした。


しかし、コリントスは経済豊かなポリス。


そのポリスがスパルタ側についたんです。


ある程度、そのあと、どうなるか

想像できる方もいらっしゃるでしょう。



そしてコリントスとアテネが

対立し、二つのポリス間で争いがおきました。



そうなると、


そのポリスが属しているペロポネソス同盟の盟主のスパルタも参戦します。



そして、そうなると、デロス同盟国も次々と

アテネに応戦します。



そして、古代ギリシア間で

大きな戦争に発展します。



そのとき、さきほど挙げた

コリントスが、

スパルタが戦争を続けることを

経済的にささえました。








最初は、アテネが優勢でした。


そのまま、うまくいく!!


…と思いきや、アテネの強さの立役者の

将軍が、流行り病(感染症)で亡くなります。



そして、そのあと、その人に代わるような

リーダーシップを持った人は現れず


最終的にスパルタが勝利し、


その後は、スパルタが

ギリシアの覇権を握ります。


(一時期、スパルタに勝利した、テーバイ(テーベ)が覇権を握ることもありました。)







 

2:傭兵の流行

ペロポネソス戦争後も
古代ギリシア世界ではポリス間の戦争は
絶え間なく続きます。


そうなると、土地を失って市民の身分から
転落する人も出てきました。


ここで、問題なのは、

古代ギリシアの基本法則である、


戦争に行く人は自費で武具を買う

戦争に行く人が参政権がある


(参政権がある人を市民と言う)

というもの。


市民の身分から転落する人達が
多くなる、ということは

戦争に行く人も少なくなる。
(国防を司る人も少なくなる)


また、あまりに戦争ばかり続くと、

お金はあっても、戦争に行くのを
嫌がる人だっているでしょう。




しかし、戦争はある。





…となると、どうなるか?というと、

お金がある人にはある。

すると、お金で兵隊を雇うように
なる人達も増えてきます。


このように、お金で雇われて戦う兵の
ことを、傭兵と言います。


この傭兵が流行し、

それまでのポリスの基本形態である
市民で軍隊を構成する形が
崩れていくのです。







2:マケドニア


 

1:マケドニアとは?

マケドニアは古代ギリシアの国(地域)の
1つです。

ただ、ポリスという形をつくらない国でした。


そのマケドニアの王が

世界の歴史を変えます。





マケドニアが強くなっていく過程を
見ていくには、

2人の王を主軸に見ていきます。


まずは、父のフィリッポス2世、
次いで、子供のアレクサンドロス大王。

 

2:フィリッポス2世

フィリッポス2世は

ギリシアのポリスと戦争し、
勝利をし、
ギリシアの覇権を握ります。
カイロネイアの戦いでは
あのアテネとテーベ(テーバイ)の連合軍を
破りました。

コリントス同盟(ヘラス同盟)を
各ポリスたちと結びます。

最後まで参加を拒んだスパルタ以外の
全ギリシアのポリスと同盟を結びました。


その後、フィリッポス2世は
たびたびギリシアのポリスに干渉してきた、
アケメネス朝ペルシアを倒そうと計画します
…が、実行にうつすまえに部下に暗殺されました。


 

3:アレクサンドロス大王


その次にマケドニアの王になったのは

フィリッポス2世の子、アレクサンドロス大王です。


最初から大王と呼ばれているわけでは
ないのですが、

歴史というのは、しばしば、功績から
尊称や歴史的に呼ばれる名をつけられるので、

ここではアレクサンドロス大王と表記します。



アレクサンドロス大王は

フィリッポス2世がしようとした、
アケメネス朝ペルシアの遠征を
実行します。

エジプトも征服します。

そして、アケメネス朝ペルシアを
最終的に滅ぼします。


その後も、どんどん征服地を増やしていくので


アレクサンドロス大王の一連の
遠征(戦い)を

東方遠征と言います。


(地図を考えると、ギリシアから東方の方に
遠征したため。)




最終的に、インドの北西部まで
勢力をのばし、

東西にまたがる一大帝国を
アレクサンドロス大王は築きます。


今まで習った歴史を考えてみてください。

エーゲ文明や
エジプト文明、メソポタミア文明など

とんでもなく歴史が古いところを
ひとつの国にしたってことですよ。

それって、よく考えたらすごいことでは
ないですか?


しかも、片田舎と思われていたマケドニアの、
たった二大の王様によって、

それまで長く栄華を極めていた
古代ギリシアのポリスの国家たちも
オリエント世界の覇権を握っていた
アケメネス朝ペルシアも倒したんですよ。


(もちろん、フィリッポス2世以前の
マケドニア王たちが国力を強めたから、
という背景はあります。)




そしてアレクサンドロス大王は
突然の病死。
(死因は蚊を媒介とする感染症の説等々があります。)


アレクサンドロス大王の死後は

後継者(ディアドコイ)と呼ばれる、
部下の将軍たちが領土を争い、

大帝国は分裂します。


そのなかで
一番長く続いたのは
プトレマイオス朝エジプトです。


プトレマイオス朝エジプトは
古代ローマの歴史でも出てくるので
覚えておいてください。




 

4:ヘレニズム時代


アレクサンドロス大王の東方遠征から
プトレマイオス朝エジプトの滅亡までの
約300年間の時代をヘレニズム文化と言います。


ヘレニズムとは「ギリシア風」という意味で
「ヘレネス」の造語です。


ヘレネスについては以前お話したことありますが、古代ギリシア人は
自分達のことを「ヘレネス(ギリシア人)」と
自称し、異民族のことを「バルバロイ」と言っていました。





アレクサンドロス大王によって、
古代ギリシアの文化や考えが
征服地に広がりました。

古代ギリシア風の都市が
あらゆる都市に建設されました。

アレクサンドロス大王は
自分の名前のついた都市をあらゆるところに
築いています。

有名なのが、
エジプトのアレキサンドリア。

ヘレニズムについては、文化でがっつり
お話ししたいと思いますので
また次回、お話しますね。





 

5:アレクサンドロス大王の歴史的業績

歴史というのは

たくさんの人々が生きていくなかで

動いていくものです。



一人の人間が歴史を動かす、

というのはめったにありません。



しかし、ごくまれに、

いるんですよね。



歴史を大きく動かす人物が。


そういう人物はしばしば「英雄」と

呼ばれます。




世界中に英雄の歴史人物はいます。


その中で、

地中海世界や西洋において、

大英雄とみなされ、

後の英雄の憧れの存在でもあったのが、


アレクサンドロス大王でした。


カエサルやナポレオンの動きを見ると


彼らは第二のアレクサンドロスに

なろうとしている、と感じます。



ナポレオンがなぜエジプト遠征を

したのか?

はもちろん、イギリスとの問題では

あるのですが、


アレクサンドロス大王への憧れでも

あるのです。



アレクサンドロス大王は

しばしば軍事的側面のみでみられがちですが、


文化史や経済史でも

大いに関係してくる人物なのです。




先ほども話した、

古代ギリシアの文化を帝国支配地に

次々とひろめたこと、

だけでなく、

領地のあらゆる文化を融合した、

という側面もあります。



今で言う、グローバル文化に近いです。


また、貨幣単位を統一したので

単位換算をする手間がはぶけるので、

帝国内の商業がそれまでより

スピーディーに行え、

活発化します。


商業的にもグローバル化です。





フィリッポス2世と

アレクサンドロス大王については


割と、スーッと進んで終わっちゃう授業が

多いですが、


よくかんがえたら、


かなり歴史的に大きな変化だよね?


マンガだったら、二人の王さまだけで

長期連載になるんじゃない?


と思います。


宇宙人しっぽ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人あたま



今回は以上です。



来週は古代ギリシア最後の回です。

ギリシア文化です。



ただ年末年始なので、

もしかしたら、一回お休みになるかも?です。


可能だったらあっぷしたいですが。